2002年(平成14年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では2002年(平成14年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

2002年(平成14年)の主要ニュース

1月23日|雪印牛肉偽装事件発覚⇒雪印グループの解体へ

ライブドアニュースより引用

雪印牛肉偽装事件とは、雪印食品株式会社が牛肉の産地を偽装し、国から補助金をだまし取った事件である。

2001年、日本産牛肉に牛海綿状脳症(BSE)にかかったものがあることを農林水産省が公表し、対策として農林水産省による国産牛肉の買取が行われた。
しかし雪印食品は外国産の安価な肉を国産牛と偽装し、農林水産省から補助金2億円を受領した。

2002年になり雪印食品の取引先である西宮冷蔵が告発を行ったことで事件は発覚し、雪印食品の社長は辞任、雪印食品は会社を清算するに至った。
事件の主犯格である本部長ら5人は逮捕され、起訴されている。

雪印食品は雪印乳業のグループ会社であったが、2000年に発生した雪印乳業の集団食中毒事件と本事件で雪印ブランドの信用は地に落ち、グループは解体を与儀なくされた
雪印乳業は2011年に雪印メグミルクに吸収合併され、86年の歴史に幕が下りた。

3月28日|衆院議員の辻元清美が秘書の給与を流用していたことが発覚⇒有罪判決が確定


辻元清美は社会民主党の国会議員であったが、2002年に公設秘書の給与を国からだまし取った疑いで逮捕された

辻本清美は勤務実態が無いにも関わらず公設秘書を雇っていると偽造し、国から秘書の給与を受領していた。
秘書には5万円を手渡し、残りの金銭を辻元が流用していた。

週刊新潮の報道により実態が明らかとなると、秘書と辻本らは口裏を合わせ衆議院の参考人招致で勤務実態があったと虚偽の証言を行った
しかし社会党から議員辞職勧告の意向があったため辻本は辞職し、その後辻元らは警視庁に詐欺容疑で逮捕された。

逮捕された辻元ら4人は容疑を認め、懲役2年執行猶予5年の判決が言い渡された。
執行猶予が明けた辻本は2005年に社民党に復帰し、比例当選し衆議院議員に復帰している。

4月1日|ゆとり教育がスタート⇒2011年に脱ゆとり教育へ方向転換

ミドルエッジより引用

ゆとり教育とは2002年から2010年代初期に行われた「ゆとりある学校」を目指した教育のことである。
具体的には詰め込み教育から思考力を伸ばす教育への転換が目的とされ、学習時間と学習内容を減らしたことが大きな特徴であった。

しかしOECDの「生徒の学習到達度調査」で国際的な学力の順位が低下したのを受け、2008年の安倍内閣政権で学習時間の増加させる案が浮上し、2011年より安倍政権下で「脱ゆとり教育」が施行された。

しかしOECDの「生徒の学習到達度調査」での学力順位低下は、比較対象となる参加国が増えたという要因もあるため、一概にゆとり教育=学力低下という結論が確定しているわけではく「ゆとり教育」に対する一定の評価がされている点も多い。

6月19日|鈴木宗男衆議院議員が収賄容疑で逮捕⇒ムネオハウスや疑惑の総合商社などの造語が話題に

日本共産党前衆議院議員佐々木憲明オフィシャルサイトより引用

鈴木宗男は内閣官房副長官を務めたこともある日本の政治家であるが、2002年に斡旋収賄容疑で逮捕された。

鈴木宗男は「日本人とロシア人の友好の家」、いわゆるムネオハウスの建設をめぐる入札で地元の建設業者と契約するよう便宜を図った疑いを筆頭に様々な疑惑が報じられ、3月11日に証人喚問を受けた。
曖昧な答弁に終始した鈴木宗男に対し、社民党の辻元清美議員は「疑惑の総合商社」と糾弾した。

鈴木宗男は7月にやまりん事件(入札参加資格停止処分を受けた会社の関連会社に、利益を確保するよう働きかけた事件)のあっせん収賄容疑で起訴され、その他議員証言法や政治資金規正法違反でも追訴された。

鈴木は容疑を否認し続けたが、2004年11月東京地方裁判所の第一審で懲役2年の実刑判決が下され、2010年には刑が確定したため衆議院議員を失職し収監された。
その後は衆議院議員選挙へ立候補するも落選、2019年の参議院選挙で日本維新の会から比例で立候補し当選し、9年ぶりに国政へ復帰している。

9月17日|初の日朝首脳会談開催


北朝鮮では1970年代から工作員による日本人の拉致が相次いでおり、拉致被害者の家族らは再三にわたり政府に拉致被害者の奪還を依頼していた。
2002年4月に衆議院と参議院で「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択され、事態は動き出す。

2003年小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪問し、金正日と会談したのだ。
北朝鮮は13名を拉致したことを認め、謝罪を行ったうえでうち8名は死亡していたことを明らかにした。

日朝首脳会談では日朝平壌宣言が発表され、宣言では国交正常化の後に日本が北朝鮮に対して経済協力を実施(北朝鮮側によると1兆円規模の経済支援)することとなっていた。
しかし日本は拉致問題の解決が出来ておらず北朝鮮側が死亡していたとする8人については捏造であり国交正常化はできないと主張し、経済協力の実施を行っていない。

生存していた5名については同年10月15日に一時帰国が認められたが、日本は約束を反故にし北朝鮮へ帰すことを拒否する強気な外交政策をとった。
また日朝首脳会談で、北朝鮮が拉致事件を認めたことで日本の世論は北朝鮮を非難する方向へ傾くこととなった。

10月8日|小柴昌俊にノーベル物理学賞、10月9日には田中耕一にノーベル化学賞の受賞が決定


2002年、日本人がノーベル賞をW受賞した。
物理学賞の小柴昌俊と、科学省の田中耕一である。

小柴昌俊は東京大学理学部を卒業後、東京大学原子核研究所教授となり、岐阜県に陽子崩壊の検出を主目的とする「カミオカンデ」を建設する。
ノーベル賞の受賞理由は「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」であった。

ニュートリノは原子に含まれる素粒子の1つであるが、小柴昌俊は自然発生したニュートリノを史上初めて観測することに成功し、ニュートリノが種類を変化させる「振動」という現象を発見した。

田中耕一は東北大学工学部を卒業し、島津製作所へ就職する。
中央研究所へ配属された田中耕一は、1985年にタンパク質などの質量分析を行う「ソフトレーザー脱着法」を開発し、2002年に島津製作所ライフサイエンス研究所主任となり、同年ノーベル化学賞を受賞した。

受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」である。
タンパク質を破壊することなくイオン化することに成功したため、質量分析でタンパク質を解析することが可能となった。

この発見は病気の診断や薬の開発において活用されている。

田中耕一は現役サラリーマンとしては初のノーベル賞受賞者であったため、大きな話題となった。

10月15日|北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国


2002年10月15日、北朝鮮に拉致されていた日本人5人が帰国した
帰国したのは地村保志さん夫妻、蓮池薫さん夫妻、曽我ひとみさんの5人で、それぞれの故郷へ帰り、家族や友人との再会を果たした。

拉致被害者の帰国が政府の功績として評価される一方で、拉致被害者のうち8名が死亡していたという発表に北朝鮮に対するバッシングが沸き起こった。

2004年には小泉首相が2度目の北朝鮮訪問を果たし、蓮池・地村夫妻の子供が帰国曽我ひとみさんが夫(チャールズ・ジェンキンスさん)とジャカルタで再会し日本へ帰国した。
北朝鮮は拉致問題について解決済としているが、日本側は多くの被害者の足取りが不明のままであるため解決はされていないとしている。

拉致被害者らは日本へ帰国後、地村さんは福井県の市役所へ勤務後定年退職、蓮池さんは新潟産業大学の准教授として活躍、曽我ひとみさんは新潟県佐渡市の養護老人ホームへ勤務後定年退職するなど、日本社会に根付いて暮らしている。

2002年(平成13年)の文化・芸能ニュース

7月27日|和泉元彌ダブルブッキング騒動

芸能ニュース知ってるつもりより引用

和泉元彌は能楽狂言方和泉流二十世宗家を自称する狂言師である。
和泉元彌は2000年に紅白歌合戦の司会、2001年に大河ドラマで主役を務めるなど人気の俳優であった。
しかし2002年、同じ日の同じ時間に2つの仕事を受ける、ダブルブッキング騒動を起こしワイドショーの報道が過熱する事態となった

2002年のダブルブッキング騒動では仕事場から次の仕事場へと急ぐ和泉元彌の姿を大勢の報道陣が追いかけ、お茶の間の注目を大きく浴びた。
結局1年に3度のダブルブッキングが起こり、その度にマスコミは和泉元彌を追いかけ、狂言の公演に間に合ったかどうかをリアルタイムで報道するなどした。

また和泉元彌は2001年にタレントの羽野晶紀と結婚したが、羽野晶紀と義母との間での確執があると噂され、やはりワイドショーの話題となった。
さらに2005年にはプロレスデビューし大きな話題となるなど、騒動を振りまいては世間の注目を浴びる人物となった。

2005年に駐車違反で逮捕、2006年には所得隠しで東京国税庁に申告漏れを指摘される。
同年には高校生の乗るバイクと接触事故を起こし、後日その高校生と共に記者会見を行うなど破天荒な行動がワイドショーを賑わせた。

また2008年にはチャリティー募金を流用したのではないかと疑惑が起こり、和泉元彌のブログが炎上するなどしている。

2020年現在では狂言を広めるための公演や学校講師などを務めている。

9月6日|記念樹事件で、著作権法違反が認められる

ビズキャリonlineより引用

記念樹事件とは小林亜星の作曲した「どこまでも行こう」と服部克久が作曲した「記念樹」のメロディが類似しているため、小林亜星と著作権者である会社が著作者人格権侵害・編集権侵害に基づき、損害賠償を求めて1998年に提訴した事件である。

「記念樹」は明石家さんまが司会を務めていた人気番組「あっぱれさんま大先生」のエンディングテーマであったことからも、記念樹事件は話題となった。

第一審では小林側が敗訴したが、二審では「どこまでも行こう」を元に「記念樹」が作曲されたものであるとして940万円の損害賠償が服部に命じられた。
服部は上告したが、最高裁は上告不受理としたため記念樹は著作権法違反にあたるものであるとの判決が確定した。

11月22日|小室哲哉とKEIKOが結婚


小室哲哉は数々のミリオンセラーや大ヒット曲を生みだした音楽プロデューサー、KEIKOは大人気音楽ユニットglobeのボーカルである。
小室自身もglobeのメンバーとしてキーボード等を担当しており、音楽業界の大物同士によるビッグカップル誕生であった。

特に、小室はこの年の3月にASAMIと離婚したばかりであったため、驚きの声も上がっていた。

この結婚にはマスコミだけでなく世間も賑わい、2人の結婚披露宴はテレビで生中継されるほどであった。
この時の視聴率は15%を超えている。

しかし結婚生活は順風満帆ではなく、小室の浮気などにより泥沼化した。
たびたび離婚報道が流れるなど、トラブルが後を絶たない状況である。

2002年(平成13年)のスポーツ

2月8日|ソルトレークシティーオリンピック開催


日本は金0銀1銅1を獲得

5月31日|日韓共同開催で2002FIFAワールドカップ開催


日韓共同開催による、2002FIFAワールドカップが幕を開けたのが5月31日である。
ワールドカップがアジアで開催されたのは初の事であった。

日本はグループHを戦い、初戦のベルギー戦を2-2で引き分けると、続くロシア戦では1-0でワールドカップ初勝利をあげる。最終戦ではチュニジアを2-0で下し、見事グループリーグ1位で決勝トーナメントに駒を進めた。
決勝トーナメントでは激戦の末、トルコに0-1で敗れベスト8進出は逃した。

共同開催となった韓国もグループリーグを首位で突破し、イタリアやスペインといった強豪を倒してアジア初の4位となった。
なお、イタリア戦スペイン戦ともに韓国に有利なジャッジが多かったことから、誤審が話題になった。

大会得点王のロナウドを擁するブラジルが優勝を果たし、オリバー・カーンを中心とした強固なディフェンスを誇ったドイツが準優勝となった。
この時の決勝戦は、日本の横浜国際総合競技場で行われている。

11月2日|女子レスリング世界選手権で55キロ級の吉田沙保里、63キロ級の伊調馨が初優勝

時事ドットコムより引用

女子レスリング世界選手権で、55キロ級の吉田沙保里、63キロ級の伊調馨が初優勝を果たした。
2人とも初出場での優勝であった。

吉田にとってジュニア以外での国際舞台は初めてだったが、実力は圧倒的だった。
決勝まで相手に1ポイントも与えておらず、決勝では先制されるも動じることなく1分39秒で勝負を決めた。

伊調馨は直近のジャパンクイーンズカップやワールドカップでも優勝しており、その実力を見せつける形となった。

吉田沙保里はこれ以降公式戦119連勝、個人戦では206連勝を記録、伊調薫はオリンピック4大会連続金メダルを成し遂げるなど、次々と不敗神話を打ち立てていくこととなる。

2002年(平成13年)の主要事件

1月22日|三島女子短大生焼殺事件発生

NAVERまとめより引用

三島女史短大生焼殺事件とは、犯人が帰宅途中の通りすがりの女子短大生を拉致・強姦の上、灯油をかけて焼き殺した凶悪事件である。
犯人は少年院・刑務所へ何度か服役して、覚せい剤を乱用していた。

仕事の帰りに車を運転していた犯人は、自転車に乗っていた被害者を発見し、被害者を車中に監禁・強姦した。
被害者を解放すれば事件が発覚し、刑務所に戻る可能性があることを恐れた犯人は、灯油を全身にかけ点火し現場を離れた。

犯人には2005年3月29日に死刑判決が言い渡されたが、殺害された被害者数が1人かつ経済的利欲目的でない殺人事件で、犯人が死刑となったのは異例の判決である。
犯人に対しては2012年8月3日に死刑が執行されている。

3月4日|神戸大学院生リンチ殺人事件発生

サイケデリック・奇譚から引用

神戸大学院生リンチ殺人事件とは、暴力団の男が大学院生の男を拉致・監禁し殺害した事件である。
法定で警察の職務怠慢が認定された初の事件でもある。

大学院生の男は友人を団地へ送った際、暴力団員組長と目が合ったことを理由に殴られ、仲裁した友人とももみ合いになった。
大学院生の男が警察へ通報するが、暴行に他の組員も加わり大学院生の男と友人はほとんど意識がなくなった。

警察が現地に駆け付けた際友人が車から逃げ出し、大学院生の男が車に乗せられている事実を告げたが、警察は車を確認せずその場を立ち去った。

大学院生の男はその後も車で連れ去られ、暴行を受け川に放置されたため死亡した。
暴力団の組長らには無期懲役の刑などが下された。

遺族は兵庫県や組長らを相手に1憶4000万円の損害賠償訴訟を起こし、神戸地裁は警察の怠慢を認め、9736万円の賠償金支払いを命じた。

3月13日|氷見事件発生


氷見事件とは、富山県で発生した婦女暴行未遂事件などで、容疑者男性が3年の刑に服した後に真犯人が見つかった冤罪事件である。
富山県警の取り調べやずさんな捜査が批判された。

16歳の少女や別の少女への強姦容疑により、タクシー運転手が「犯人と似ている」という証言により逮捕された。

取調官の執拗な取り調べや、嘘により容疑者は自白をした。
容疑者は自白したものの、犯行当時のアリバイがあることや現場の足跡が28cmであるのに対し容疑者の足のサイズが24.5cmであるため、警察署内からは立件が不可能であるとの声もあった。
また弁護士からも「控訴しても無駄」などと犯人扱いされていた。

裁判でも容疑者は容疑を認め懲役3年が確定し3年服役したが、2006年になり犯人が自供を行ったため再審が行われ無罪が確定した。
真犯人確定後も富山県警は「捜査ミスはなかった」として警官に対する処分は行っていない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。