1987年(昭和62年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では1987年(昭和62年)のニュース・芸能・事件・スポーツを解説しています。

目次

1987年(昭和62年)の主要ニュース

1月17日|日本初の女性エイズ患者を神戸市内で確認


エイズは日本名で後天性免疫不全症候群と呼ばれ、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染した患者が免疫機能が低下することにより、合併症を発症する疾患である。

1987年に日本で初めて女性のエイズ患者が確認されたことで、日本はパニックに陥った。
何故ならば、当時は同性間の性交渉でHIVウイルスに感染すると言われていたため、異性間で感染が確認されたことによりHIV感染が身近なものとなったからである。

また神戸市で確認された日本初の女性エイズ患者は7年間売春を行っており、100人以上の男性と性交渉をしていたため、女性と性交渉を行ったと思われる男性が多数存在したこともパニックに拍車をかけた。
神戸市の記録では、女性エイズ患者が確認された1月の問い合わせ件数は8400件にものぼった。

だが神戸市が「普通の生活でエイズにかかることはない」などの啓発に努めたため、パニックは3月には沈静化した。

日本では現在、年間1300人程度の新規HIVウイルス感染患者・AIDS発症者が確認されている。

3月30日|安田火災がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札

トウシルより引用

1986年末から始まったバブル経済の象徴的な出来事の一つに、安田火災海上(現・損害保険ジャパン)によるゴッホの「ひまわり」の落札があげられる。
落札金額は53憶円で、手数料を含めると58憶円を安田火災海上は支払った。

安田火災海上がゴッホの「ひまわり」を高額で落札した理由は、東京にあるSOMPO美術館の入館料が少なかったからであり、年間3万人しか訪れなかった美術館に「ひまわり」が展示されて以来、現在でも年間20万人をこえる来館者が訪れている。

一方で「ひまわり」の落札のように金にものを言わせて著名絵画を買い漁る日本人が増え、海外からのひんしゅくを買うことになった。

4月1日|国鉄が民営化、JRグループ7社が誕生


1987年4月1日、国鉄が民営化された
2020年現在、JRは民間企業によって運営されているが、1987年4月1日まで現在のJRは日本国有鉄道(国鉄)と呼ばれており、政府が出資する特殊法人が運営を行っていた。

国鉄で大量採用された職員の労働コスト上昇により、1964年から赤字に転落した国鉄だったが、運賃や人事などに関しては国会の承認が必要であったため政治から切り離した運営を行うことができなかった。
また国会議員が票集めのために、地方の不採算路線を建設するなど非効率的な経営が行われていたことも問題視されていた。

当時の中曽根康弘は日本電信電話公社(現NTT)や日本専売公社(現JT)の民営化と共に、国鉄の民営化を推し進め、現在のJRグループが誕生したのである。

7月1日|東京都の1年間の地価上昇率が85.7%と不動産バブルの様相を呈する

日経BizGateより引用

1986年末から発生したバブル経済は、日本の土地価格を大きく上昇させた
東京都の地価上昇率は前年度の85..7%増と2倍近い価格となり、土地は永久に上がり続けるものであるという「土地神話」が誕生した。

地価が上昇し続けることを前提に銀行は資産家に対して融資を続けたため、バブル経済が崩壊し地価が下落に転じると、融資資金の焦げ付きが表面化し、銀行には多額の不良債権が発生するようになったのである。

しかしバブル経済の崩壊は1987年から4年後の1991年の出来事であり、1987年の日本は狂乱のバブル景気を享受するのであった。

バブル経済期の土地価格は全国平均で見れば歴史上最も土地価格が高かったのであるが、2020年現在は都市部と地方で土地価格の上昇にばらつきが生じている。
例えば1987年に銀座の土地は1坪1億円を突破し話題となったが、アベノミクス効果により2020年には銀座の土地は1坪4億円を突破しており、局所的な地価上昇が見られる。

8月19日|ジャパゆきさん(アジアからの出稼ぎ)が急増


ジャパゆきさんとは「ジャパン行き」を意味し、アジアから日本へ出稼ぎにくる労働者女性のことを指している
バブル経済により日本の通貨価値が高くなったため、日本で稼いだお金を自国へ送金することで裕福な生活が送れるようになったのだ。

しかしその一方で日本での不法滞在や売春の強要、給料の不払いなどの問題が新たに発生することになった。
特に不法滞在者の場合、日本で受けた被害を警察に訴えることができないため泣き寝入りするケースが多発した。

1987年、日本とフィリピンの間で日比協議機関が設置されるなどの対応が取られたが、2020年現在では外国人雇用についての法整備やモラル向上により、そうした問題は少なくなりつつあり、「ジャパゆきさん」という言葉自体聞かれなくなっている。

10月12日|利根川進マサチューセッツ工科大学教授がノーベル生理学・医学賞を受賞


1987年に日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞したのが利根川進だった。
京都大学理学部を卒業した利根川進は、マサチューセッツ工科大学生物学部およびがん研究所に就任ていた。

ノーベル生理学・医学層の受賞理由は「免疫グロブリンの特異な遺伝子構造の解明」であり、簡潔に言えば多種多様に存在する細菌・ウイルスに対し、人間はそれらに対して遺伝子の組み換えにより抗体を作り出しているのかを解明した。

11月6日|中曽根裁定により竹下内閣発足


死んだふり解散で自民党を圧勝に導いた中曾根康弘は、高い支持率を維持したまま竹下登を次期首相に指名し、5年にわたる長期政権に幕を閉じた。

⇒⇒詳細は第71~73代内閣総理大臣・中曾根康弘を参照お願いします

1987年(昭和62年)の文化・芸能ニュース

5月25日|森高千里が「NEW SEASON」で歌手デビュー


歌手やシンガーソングライターとして長い活動を続けている森高千里が、1987年5月25日、歌手デビューを飾っている

デビュー曲である「NEW SEASON」は東宝映画「あいつに恋して」の主題歌であり、森高はこの映画のヒロインも務めている。
当初は歌手とタレントの二足の草鞋を履いていた森高であったが、徐々に歌手活動へ移行していき、1992年にアルバムからのシングルカット「私がオバさんになっても」で女性ファンの心を掴む。

同年の「風に吹かれて」が自身初のオリコン1位になるなど、シンガーソングライターとして活躍をした。

1999年には俳優の江口洋介と結婚し、2児に恵まれている。

7月17日|俳優・石原裕次郎が肝臓がんのため死去


石原裕次郎は石原プロモーションの創立者で石原軍団の名称で多くのタレントを輩出するとともに、多くの映画に出演した日本を代表する俳優である。

映画の代表作に『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』、テレビドラマの代表作に『太陽にほえろ!』『大都会』シリーズ『西部警察』シリーズなどがある。
兄は芥川賞受賞で、都知事・政治家として知られる石原慎太郎である。

死因は肝臓がんであったが、本人には告知はされず52歳という若さで他界した。

6月12日|郷ひろみと二谷友里恵が結婚

ミドルエッジより引用

慶応大卒のお嬢様女優・二谷友里恵と、超人気俳優・タレントであった郷ひろみのビッグカップルが結婚した
しかし二人は11年後の1998年に離婚している。

1987年に郷ひろみと結婚した二谷友里恵は女優業を引退して二児をもうけ、1990年に郷との出会いを綴った『愛される理由』を出版しベストセラーとなった。
しかし1998年郷ひろみと二谷友里恵は離婚、に郷ひろみが『ダディ』という離婚に至るまでの暴露本を出版しベストセラーとなる。
一方、二谷友里恵も『ダディ』に対抗する形で、2001年に『楯』を出版しベストセラーとなり、二人の泥沼関係が世間に知られることとなった。

二谷友里恵はその後「家庭教師のトライ」創業者と結婚し、トライグループの代表取締役社長に就任している。

9月4日|ものまねタレントの佐々木つとむが愛人に刺殺される


※佐々木つとむの報道については、3分11秒から開始されます。

佐々木つとむとは、元祖ものまね四天王と呼ばれていた男性で、渥美清・田中角栄などのものまねでお茶の間の人気者となっていた
当時40歳であった佐々木は、同棲していた39歳の女性にアパートで刺殺されていたところを所属事務所社長に発見された

佐々木は妻子がいたもののギャンブルにのめり込んで借金を抱えており、同棲していた女性はポーカーゲーム屋で知り合った女性であった。
佐々木は同棲女性に金品をせびる生活をしており、険悪な関係であった。
事件当日は佐々木が女性の犬を殴り骨折させたことで、女性メッタ刺しにされたとされている。

女性は事件現場に遺書を残しており、2日後に入水自殺しているのが発見された。
女性の遺書には突発的な事件を詫びる内容のことが書かれていた。

9月10日|マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート


20世紀最大のエンターテイナーと呼ばれた、マイケルジャクソンがソロとして初来日コンサートを行ったのが1987年のことであった

後楽園などで行われたコンサートは全14回すべて完売で、40万人を動員した。
マイケルジャクソンが休日の日に行く場所には人だかりができるほどの人気を誇り、マイケルジャクソンの来日は「マイケル・タイフーン」と呼ばれた

9月20日|おニャン子クラブが解散


おニャン子クラブとは、1985年にフジテレビの番組『夕やけニャンニャン』で誕生した女性アイドルグループであり、プロデューサーは秋元康
2020年現在のAKBグループのはしりのような存在であった。

デビューシングルの「セーラー服を脱がさないで」がヒットし、その後メンバーの脱退と加入が頻繁に行われ延べ52名が「おニャン子クラブ」のメンバーとなったが、解散時には19名のメンバーが在籍していた。

「おニャン子クラブ」からソロデビューを行うアイドルや、数人でユニットを組みデビューするグループなども存在し、発売されるレコードはほとんどがヒットするほどの人気グループとなった。
特に1986年「おニャン子クラブ」は人気絶頂期となり、年間オリコンシングル1位獲得46曲中の30曲がおニャン子クラブ関連の曲となった。

しかし番組の視聴率はピークアウトし、1987年6月に番組の終了と「おニャン子クラブ」解散が告知され、9月20日に解散コンサートが行われた。

「おニャン子クラブ」出身のアイドルは現在も芸能界に在籍しており、工藤静香、渡辺満里奈、国生さゆりなどがその代表である。
なおメンバーであった高井麻巳子はプロデューサー秋元康の妻となった。

1987年(昭和62年)の事件

2月25日|藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件


藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件とは、ミュージシャンの男が「魔に憑かれた」ため自身の妻と従弟に絞殺された上、遺体を解体された猟奇事件である。

被害者男性と従弟は幼いころから仲が良く、特に被害者男性の従弟に対する信頼は絶大であり、従弟が大山祇命神示教会に入信した際に被害者男性も後を追って入信している。

事件が起こる一週間ほど前、従弟は被害者男性夫婦の元にあらわれ「自分に神が舞い降りた。悪魔を追い払える曲を作れるのはお前しかいない」と被害者男性に伝えたため、被害者男性は「救世の曲」製作に腐心するが、事件当日「魔に憑かれてしまった」と言いだした。

これを聞いた従弟は悪魔祓いを行うが成功せず、最終的に被害者男性の首を絞め殺害、被害者男性の妻と二人で「救世の曲」を聞きながら遺体の解体を行ったのである。

従弟には懲役14年、妻には懲役13年の刑が下された。

1987年(昭和62年)のスポーツ

11月8日|全米女子プロゴルフ選手権で岡本綾子が日本人初の外国人賞金王

楽天GORAより引用

女子プロゴルファーの岡本綾子が、全米女子プロゴルフ選手権でアメリカ人以外で初となる外国人賞金王となった。

岡本は高校時代にソフトボールの国体優勝チームでエース兼4番を担っており、自慢のリストと腰のバネを活かしてデビュー1年目から活躍する。
その後も女子プロゴルファーとしては異次元のパワーを武器に、1979年に日本女子プロゴルフ選手権初優勝を果たし、1981年には賞金女王に輝いた。

全米女子プロゴルフ選手権には1981年から本格的に参入し、1992年までに計17大会で優勝を果たした。
とりわけ、この1987年には史上初の外国人賞金王となったことで年間最優秀選手も獲得し、ゴルフ界の歴史に名を刻むこととなった。

引退後は指導者としても活躍しており、2012年には指導の実績からLPGAより特別賞が授与された。

5月27日|大相撲で小錦八十吉が外国人として初の大関に昇進


アメリカ出身の小錦八十吉が、外国人として大相撲初の大関に昇進した。

アメリカ在住時はプロレスラー等への勧誘もあったが、同じくアメリカ出身で元高砂部屋の大相撲力士である高見山の紹介から、大相撲への入門を決めた。
入門後はメキメキとチカラをつけ、初土俵から所要12場所で新入幕、横綱を含めた上位陣を次々と倒し「小錦旋風」と恐れられた。

しかし、大関昇進間近だった1986年5月場所で靭帯損傷・骨折の大けがを負う。
これにより、2場所連続休場となり、地位は平幕まで落ちてしまった。

復帰後は1986年11月場所で関脇の地位を取り戻すと、1987年5月場所で外国人初の大関昇進を果たした。
その後は1992年3月場所までに3度の幕内優勝を果たすが、「大関で2場所連続優勝」の規定を満たしていないという理由から、横綱昇進は果たせなかった。

横綱にはなれなかったものの、人気が非常に高く人格者であったことから、現役引退後は力士会会長も務め、タレントとしても活動している。

8月1日|マイク・タイソン、3団体統一チャンピオンになる

とにかくボクシングが好き!より引用

マイクタイソンが、事実上の主要団体統一王者となる3団体統一チャンピオンとなった。

マイクタイソンは、1985年に18歳でプロデビューすると怒涛の勢いでデビュー27連勝をあげ、1986年11月に行われた28戦目でWBC世界ヘビー級王座を獲得する。
そして1987年3月にWBA世界ヘビー級タイトルを、同年8月にはIBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功した。

現在世界王座認定団体のひとつであるWBOの設立は1988年であるため、実質当時の主要団体統一王者となった。

だがその後、プロモーターのドン・キングと組んだことでタイソンの輝かしい道に影が差すこととなる。
離婚、交通事故、自殺未遂、さらには1990年にデビュー以来初の黒星を喫し、翌年には18歳の少女をレイプしたとして逮捕された。

釈放後は1度世界王者を奪還するも以前の輝きは取り戻せず、リング内外で問題行動が目立ったタイソンは、2005年に引退した。

8月30日|世界陸上競技選手権大会男子100mでカナダのベン・ジョンソンが9秒83の世界記録を樹立


世界陸上競技選手権大会男子100mで、カナダのベン・ジョンソンが9秒83の世界記録で優勝した。
本大会では当時世界最速と言われていたカールルイスを破ったことでも注目された。

その後もベン・ジョンソンの勢いは収まらず、1988年のソウルオリンピック100mでは9秒79で優勝し、世界記録を更新した。

しかし、レース後の検査で筋肉増強剤のドーピング陽性反応が出たことで記録と金メダルは剥奪された。
1989年には、世界陸上での9秒83の記録も取り消されている。

この出来事はオリンピック史上に残る大事件とされ、ドーピング問題が本格的に注目されるきっかけともなった。

12月31日|横綱双羽黒、部屋から失踪し廃業


横綱双羽黒が親方である立浪との衝突を理由に部屋から失踪し、廃業(事実上の破門)となった。

立浪は中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、1979年3月に初土俵を踏む。
2m近い恵まれた体格と素質で当時から注目を集めていたが、少しでも厳しい稽古にすぐ根を上げる等、精神的な未熟さがあった。
酷い時は練習をサボったり帰郷してしまうことすらあり、以前からトラブルは絶えなかった。

1984年1月に新入幕を果たすと、好成績を上げ続け、出世街道を走る。
1986年1月場所で新大関となり、同年には横綱に昇進した。なお、横綱昇進にあたって『北尾』から『双羽黒』に改名している。

しかし横綱昇進後は思うような結果を残せず、親方とちゃんこの味付けで口論となり、仲裁に入った女将を突き飛ばし廃業となってしまう。
その後プロレスラーや総合格闘家へ転身したが、2010年代から持病の糖尿病が悪化し、長い闘病生活の末2019年に腎不全のため他界している。

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