この記事では1988年(昭和63年)のニュース・芸能・事件・スポーツを解説しています。
1988年(昭和63年)の主要ニュース
3月13日|青函トンネル開通
青函トンネルとは本州と北海道を結ぶ鉄道トンネルであり、海底約100mを掘って作られたトンネルで、全長53.85kmと東洋一の長さを誇る。
1988年までの青森と北海道を結ぶ交通手段としては航路があったが、朝鮮戦争による機雷が津軽海峡へ流入することや台風で被害を受けることなどが懸念されていた。
1961年から開始されたトンネル工事は、24年の年月と34人の工事中の死者を出しながらも1988年にようやく完成した。
2020年現在、青函トンネルは新幹線のみで通行することが可能となっている。
3月17日|東京ドームが完成
東京ドームとは日本で初の屋根付き球場であり、プロ野球・読売ジャイアンツの専用球場として建設された。
東京ドームの完成まで読売ジャイアンツの本拠地は後楽園球場であったが、東京ドームの完成をもって本拠地が後楽園球場から東京ドームへ移行した。
こけら落としとして3月18日に巨人対阪神のオープン戦が行われている。
かつてはその形状から「BIGG EGG」という愛称が用いられていたが、2000年で廃止となっている。
現在は読売ジャイアンツの本拠地以外にも、コンサート会場やイベント会場として提供されており、活況を呈している。
4月10日|瀬戸大橋開通
瀬戸大橋とは岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ10個の橋の総称であり、瀬戸大橋の開通により四国と本州が初めて陸路で結ばれた。
橋には鉄道と道路が通っているが、道路と鉄道が併設する橋としては世界最長であり、開通時には一大観光地として脚光を浴びた。
着工は1978年であり、9年6ヶ月の年月を経て完成した。
9月13日|パソコン通信のPC-VANで日本国内初のコンピュータウイルスが見つかる
Time-AZより引用
近年のコンピューターウイルスと言えば、主にインターネット上で感染しコンピュータに被害をもたらすウイルスを指す言葉であるが、1988年に日本で初めて発見されたコンピュータウイルスはパソコン通信を行う過程で発見された。
パソコン通信はいわば閉ざされたインターネットで、特定のサーバと参加者のみを繋ぐサービスであり、全ての人がアクセス可能なインターネットの発展と共に衰退していった。
日本で初めてのコンピューターウイルスは通信サービス経由でメールが届き、そのメールを開封するとパスワードが掲示板に書き込まれる仕組みとなっていた。
9月19日|昭和天皇が吐血重篤となり自粛ムードが広がる
1987年に入ると昭和天皇の体調不良が顕著となる。
4月29日の天皇誕生日は昼食会中に体調不良により途中退席を行い、8月に入ると嘔吐を繰り返し体重が減少した。
検査の結果は腸閉塞であり、歴代天皇としては初めて開腹手術を受けた。
1988年9月18日、高熱により予定していた大相撲観戦が中止となり、翌19日の午後10時、昭和天皇は大量吐血により救急車が出動、大量輸血を行った。
マスコミは「天皇陛下ご重体」として大きく報道を行い、日本は自粛ムードが広がった。
自粛の具体例としては、バラエティ番組が映画や旅行番組に差し替えられる、ギャグアニメの「ついでにとんちんかん」が打ち切られる、学校行事や新年会・忘年会の自粛など、が見られた。
12月12日|岩波書店が絵本『ちびくろサンボ』を絶版
『ちびくろサンボ』は1899年にアメリカで出版された絵本であるが、1988年に絶版されてしまう。
『ちびくろサンボ』の物語は次のようなものである。
黒人のサンボが両親からもらった衣服や傘をトラに奪われるが、トラたちが戦利品を争ってバターになってしまう。
サンボは衣服と傘を取り返し、バターとなったトラたちをパンケーキにして食べてしまう。
『ちびくろサンボ』は日本でも1953年に岩波書店から販売され、人気の絵本であった。
しかし海外で黒人表現を見直す動きあらわれ『ちびくろサンボ』は差別的であると見なされ、日本でもその余波を受け絶版となってしまう。
黒人表現見直し運動の余波を受けた商品としては、ダッコちゃん人形も同様である。
しかしこうした批判は過剰であるとの考えから、2005年に岩波書店は『ちびくろサンボ』を再販し、マスコミも静観していることから2020年現在は購入可能な絵本となっている。
1988年(昭和63年)の文化・芸能ニュース
3月5日|元女優・歌手の中里綴(江美早苗)が刺殺される。
NAVERまとめより引用
中里綴は歌手・作詞家として活躍した人物であったが、元夫で音楽プロデューサーの屋代昭彦に1988年の3月5日殺害された。
中里は「江美早苗」名義で『新婚さんいらっしゃい』の初代司会を務めたことで知られ、1973年からは作詞家として日本レコード大賞歌唱賞を受賞した南沙織の『人恋しくて』を手掛けるなど、作詞家としての地位を確立していた。
しかし1985年に離婚した元夫の屋代昭彦にストーカー行為を行われ、1988年、自宅マンションのバスルームの窓から侵入した屋代に、全身22か所をナイフでめった刺しにされ殺害された。
屋代には懲役12年の実刑判決が下っている。
4月11日|美空ひばりが東京ドームで5万人を集めた「不死鳥コンサート」を開催
美空ひばりは12歳でのデビュー以降、昭和の歌謡界を代表する歌手であり女性として初の国民栄誉賞を受賞した人物である。
1987年4月22日、美空ひばりは公演先の福岡市で体調不良のため緊急入院し、肝硬変と診断される。
同年5月に退院、療養を行うも肝臓の数値は悪化の一途をたどる中、翌年1988年4月11日に東京ドームで「不死鳥コンサート」が開催される。
激痛に耐えながら行ったコンサート裏では、簡易ベッドや医師も待機しており、コンサートを終えたひばりはそのまま救急車にのさせられて東京ドームを後にした。
「不死鳥コンサート」後も美空ひばりは各地でコンサートを行うなど精力的に活動を行ったが、病状は回復せず1989年6月24日に他界したため、「不死鳥コンサート」はまさに命を削って行ったコンサートとして語り継がれることとなった。
4月16日|スタジオジブリの『となりのトトロ』・『火垂るの墓』が同時公開
日本のアニメ映画に名を残す作品となった『となりのトトロ』『火垂るの墓』が1988年に上映された。
『となりのトトロ』『火垂るの墓』の配給収入は5.8億円であり、同じ宮崎駿監督が2001年に公開した『千と千尋の神隠し』が興行収入308億円であったことを考えると、極めて人気が低い映画だったと言える。
しかし公開後に『となりのトトロ』は各映画賞を総なめにし、TV放送でも毎回高視聴率を獲得するなど、日本の歴史に残るアニメ映画となった。
9月21日|音楽ユニットB’zがシングルCD『だからその手を離して』とアルバム『B’z』を同時に発売してデビュー
B’zはギタリスト松本孝弘とボーカルの稲葉浩志によるロックユニットであり、1988年に『だからその手を離して』でデビューした。
1990年発売のシングル『太陽のKomachi Angel』がオリコンチャート1位を獲得すると、その後も人気を落とすことなく日本を代表するアーティストに成長した。
1998年発売のベストアルバムは日本の音楽市場初の売り上げ枚数500万枚を突破するなどし、2008年には日本で最もアルバムを売り上げたアーティストとしてギネス記録に認定されている。
9月29日|明石家さんまと大竹しのぶが結婚
1986年に放映された人気ドラマ『男女7人夏物語』で出会い交際をしていたお笑いタレント明石家さんまと、女優の大竹しのぶが結婚した。
結婚後明石家さんまは仕事を育児のためにセーブするようになり、TV出演が激減した。
しかし1992年9月に大竹しのぶと離婚すると再び仕事量が増加し、離婚をネタとしたトークに好感度も上昇した。
二人の間には、1989年に長女IMALUが誕生しており、さんまの座右の銘である「生きてるだけでまるもうけ」が名前の由来となっている。
1988年(昭和63年)に起きた主な事件・自然災害
2月21日|世田谷区立砧南中学校で机「9」文字事件発生
机「9」文字事件とは、中学校へ侵入したグループが机と椅子を校庭に大きく「9」の形状に並べた事件のことである。
犯行当日、ストッキングで覆面をした犯人は当直中の警備員を縛り上げトイレに監禁、校舎から447個の机および椅子9個を運び出し、上から見ると「9」の数字になるように並べた。
目的と動機が不明であったことからマスコミで事件は大きく取り上げられたが、2月24日に犯行声明文が出され、数字の「9」は当時の人気アイドルグループだった光GENJIと少年隊を合わせた10人から1人を引いた数であることが判明した(つまりは1人殺害するとの殺害予告ともとられた)。
4月末には犯人が判明、同中学の卒業生らが逮捕され「世間を騒がせたい」などが主な理由であることがわかった。
主犯には懲役1年6カ月、主犯格には懲役1年(ともに執行猶予3年)の有罪判決が下った。
2月23日|名古屋アベック殺人事件発生
名古屋アベック殺人事件とは、少年グループ6名がドライブ中の男女を車で襲い、長時間による暴行の末殺害した事件である。
駐車場に停車した車中にいた20歳の女性と19歳の男性アベックは、金品略奪目的のグロリア2台に脇を挟まれるように停車された。
逃げ出そうとしたアベックの車がグロリアに衝突したことに激高した少年グループは、アベックを車外へ引きずり出して木刀などで殴り、男性は気を失い、女性は輪姦され全身にタバコの火を押し付けられるなどした。
発見される恐れたグループは殺害を決意し、男性を絞殺した上翌日に女性も絞殺し、遺体を山中に埋めた。
犯人らは同月26日、少年グループのうちの1人の部屋に集まっているところを捜査員に発見され逮捕された。
最高裁では主犯らに対し無期懲役の判決が下ったが、他の犯人は懲役15年や5~10年と犯罪に対して刑が軽く「少年なら何をしても許されるのか」などの批判が相次ぎ、少年法見直しのきっかけともなった。
3月24日|中国で上海列車事故発生
上海列車事故とは、中国上海で発生した急行列車同士の脱線衝突事故であり、高知学芸高校の高校生が巻き込まれ多数の死傷者を出した事件である。
高知学芸高校の生徒らが乗車していた311急行旅客列車は停止線を超えて停止していたが、そこへ208急行列車が衝突、311列車の2両目に208急行列車の3両目が食い込んだ。
事故では29名の死者および99名の負傷者が出たが、ほとんどは2両目に乗車していた高知学芸高校の生徒であり、生徒26名と教師1名が死亡した。
事故に対する補償は中国と遺族間との直接交渉となったが、当時の日中の経済格差は大きく、補償金額は1人あたり500万円程度であったとされている。
また学校側に責任を求める遺族と、責任はないと主張した学校側が争い、遺族側が敗訴している。
7月6日|北海油田のパイパー・アルファで爆発事故
Time-AZより引用
ハイパー・アルファは北海の石油生産プラットフォームだったが、爆発・火災事故が発生し167人が死亡、海上油田最悪の事故となった。
水深144mの海上に位置するハイパー・アルファは防火壁によって4つの区分に分割されていたが、コントロールルームの隣にガスコンプレッサが設置されるなど安全性に問題があった。
プラットフォームのポンプの安全弁が取り外され、決して起動しないよう申し送りがされるはずだったが、申し送りが伝わらずポンプが起動されガスが噴出、引火爆発した。
プラットフォームにいた229人のうち167人が死亡、生存者はわずか62人という凄惨な事故となった。
7月23日|なだしお事件発生
なだしお事件とは、遊漁船「第一富士丸」と海上自衛隊の潜水艦「なだしお」が衝突し、死者30名を出した事故である。
海難審判・刑事裁判が行われたが、海難審判ではなだしおの回避の遅れ、第一富士丸の接近してからの左転、双方に過失が認められ、刑事裁判では主になだしお側に責任があるとされた。
第一富士丸の乗客39・乗員9名のうち30名死亡したが、事故発生時の救助・通報の遅れに批判が殺到した。
なだしお事件を受けて当時の防衛長官であった瓦力が辞任している。
1988年(昭和63年)のスポーツ
2月13日|カルガリー冬季オリンピック開幕
Olympic Channelより引用
9月10日|シュテフィ・グラフが全米オープンで優勝し、女子テニス史上3人目のグランドスラムを達成
Yahoo!ニュースより引用
ドイツテニス界のスター選手であるシュフティ・グラフが全米オープンで優勝し、女子史上3人目のグランドスラムを達成した。
シュフティ・グラフは、11歳の時に世界ランキング80位の選手と互角に戦ったことで「神童」と評され、1982年には12歳にしてドイツジュニア選手権13歳ー18歳の部で優勝する。
同年にはプロに転向して活躍を続け、1987年には世界ランキング1位を獲得した。
1988年には、女子史上3人目となる年間グランドスラムを達成すると、ソウルオリンピックで金メダルを獲得する偉業を成し遂げた。この偉業に各メディアは、「ゴールデン・スラム」と讃えた。
その後1999年に引退するまで、シュフティ・グラフは「世界ランキング1位の通算在位記録377週」「世界ランキング1位連続保持記録186週」等、数々の伝説的記録を残した。
9月17日|ソウルオリンピック開幕