1985年(昭和60年)の出来事やニュースを解説

この記事では1985年(昭和60年)に起きた芸能・文化・スポーツ・事件・事故などを紹介・解説しています。

1985年の主要ニュース

3月17日|国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」が開催される


現在のつくば市・御幸が丘を中心地とし、国際科学技術博覧会、通称「つくば万博」が開催された

つくば万博は「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに最先端の科学技術が公開され、大盛況となった。

この年の3月17日から9月16日までの184日間に渡って開催され、来場者数は2033万人にも及んだ。
この総入場者数は、当時、特別博覧会史上における最高入場者記録であった。

3月21日|日本初となるエイズ患者が認定

産経ニュースから引用

1985年のこの日、日本で初めてとなる、エイズ患者が認定された。

エイズはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)が免疫細胞に感染することで発症する性感染症で、免疫不全による様々な体調不良を引き起こす。
1981年に世界初となる患者がアメリカで認定され、その後は世界中に拡散していたが、日本では患者が出ていなかったことから、そこまで人々の関心が高い訳ではなかった。

しかしこの日に日本初となるエイズ患者が認定されると、その後1987年には国内初の女性患者が報告された。
当時、エイズが未知の病気であったことや治療法がまだ確立されていなかったことから、日本各地でエイズパニックが起き、患者に対する偏見や差別も起きた。

これ以降日本を始め、世界では右肩上がりでエイズ患者が増加している。

4月1日|電電公社がNTTに、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社(JT)に民営化


昭和60年度の始まりとなるこの日、電電公社がNTTに、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社(JT)に民営化された

経済活動における政治的な関与を減らし、経済の活性化や財政健全化を狙いとして実現された。

これにより通信事業は民営化され、電気通信事業への新規参入が認められた。
また、日本専売公社の民営化は海外からの市場開放要求によるものであった

特に通信事業については民間通信業者が次々と新規参入し、以降、急速に発展を遂げていくこととなる。

9月22日|G5によるプラザ合意が行われる


プラザ合意とはアメリカ・ニューヨークのプラザホテルに先進国5か国(日・米・英・独・仏)の大蔵大臣と中央銀行総裁が集まり、ドル高是正に向けた5か国協力への合意が行われたものである。

この合意の狙いはアメリカ経済回復のために、ドル安によって輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことにあった。

そのため日本では円高が進行し、景気が低迷することとなった。
国内の景気悪化に伴いインフレ率の低迷や名目金利の低下が投機を促し、1980年代後半からのバブル経済をもたらしたと考えられている。

11月29日|国鉄同時多発ゲリラ事件発生


国鉄同時多発ゲリラ事件とは首都圏や西日本における国鉄線路にて、線路の設備破壊などが同時多発的に発生した事件である。

この日の午前3時頃、計8都道府県において線路の通信・信号用ケーブル切断など33か所に被害が発生した。
他にも侵入放火や釘の打ち込み等もあり、通勤通学者を中心に約650万人に影響がおよんだ。

また浅草駅においては、犯人グループ120人が駅構内に侵入し駅施設の破壊や放火を行ったが、幸い人的被害は無かった。

犯行は中曽根内閣下で進んでいた国鉄民営化に反対する組織によるものであった。

1985年の文化・芸能ニュース

6月24日|松田聖子と神田正輝が結婚


トップアイドルとして人気絶頂だった松田聖子と、俳優の神田正輝が結婚した

松田聖子はこの年の1月に当時交際していた郷ひろみとの破局が報じられたばかりだったため、この電撃結婚に世間は賑わった。

翌年には娘の神田沙也加を出産し、年末には夫の理解もあって仕事に復帰する。

この当時、子育てをしながらアイドルとしても活躍する松田聖子を表す言葉として生まれたのが「ママドル」である。
公私ともに順風満帆だと思われていたが、1987年には離婚を発表した。

7月24日|コメディアン・たこ八郎が溺死


1985年のこの日、コメディアンとして活躍していた、たこ八郎が海水浴の最中に亡くなった。

たこ八郎は芸能入り前はプロボクサーで、日本フライ級王座を獲得するほどの実力だった。

負傷による引退後はコメディアンや俳優として活躍しており、「笑っていいとも」などにレギュラー出演するほど人気も高かった。

そんなたこ八郎だったが、神奈川県の海水浴場にて酒を飲んで海に入り、心臓マヒで急死した。
新聞には、「たこ、海で溺死」と見出しを書かれ、笑っていいともで司会を務めていたタモリも、「たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない」と悼んだ。

9月11日|女優の夏目雅子が急性骨髄性白血病により死去


人気女優の夏目雅子が、急性骨髄性白血病により、27歳という若さで亡くなった。

1976年に女優デビューした夏目雅子は、ドラマ『西遊記』や『ザ・商社』等での白進の演技で人気を集め、1984年に公開された映画『鬼龍院花子の生涯』では、役中のセリフ「なめたらいかんぜよ」が流行語となるほど社会的な影響力を持っていた。

しかしこの年の2月に舞台公演中に体調を崩し、入院した病院で急性骨髄性白血病であると診断された。

夫である作家の伊集院静の支えもあって回復に向かっていたが、薬の副作用が原因と見られる肺炎や高熱を起こし、7か月間の闘病の末に亡くなった。

闘病中は副作用による脱毛への恐れなどから、積極的な化学治療は行わなかった。
このことに強い後悔を抱いていた夏目雅子の母は、のちの1993年12月、癌患者へ無料でかつらを貸し出す組織、『夏目雅子ひまわり基金』を設立した。

10月16日|テレビ朝日系ワイドショー番組『アフタヌーンショー』にて「やらせ」が発覚

RankBestから引用

1985年のこの日、テレビ朝日系の昼のワイドショー番組『アフタヌーンショー』にて「やらせ」が発覚した。

ことの発端は、この年の8月20日の放送だ。
「激写!中学女番長!!セックスリンチ全告白」というテーマでバーベキューをしていた暴走族60名のうち、女番長2名が女子中学生5名にリンチを加える映像を流した。

しかしこのリンチは、テレビ朝日第一制作局に勤務するディレクターの指示によるものだったのである。

このやらせ事件によってディレクターおよび、この男の指示のもと女番長2人に暴力をけしかけた男性、そして暴力を加えた女2名が逮捕された。

番組はすぐに打ち切りとなり、やらせが発覚した2日後の18日には最終回が放送された。
この事件により、テレビ朝日系列番組の視聴率は低下し、長期に渡る低迷期を招くことになった。

1985年(昭和60年)に起こったスポーツ界の出来事

1月15日|第55代横綱・北の湖が引退を表明


第55代横綱・北の湖が、大相撲からの引退を表明した。

北の湖は13歳で初土俵を踏むと、15歳9ヶ月で幕下に昇進し、21歳2ヶ月という当時史上最年少の若さで横綱昇進を果たした。

北の湖は全勝優勝を含む5場所連続優勝を果たした強さに加え、ふてぶてしく見える態度から、人々からは「憎らしいほど強い」と表現されていた。

先輩横綱の輪島は最大かつ最高のライバルであり、1975年9月~1978年1月の15場所における千秋楽結びの一番は全てこの両名の対決である。
大相撲の一時代を築いたこの2人の名前を冠し、この時代は「輪湖(りんこ)時代」と呼ばれている。

北の湖は引退後に北の湖部屋を創設し、相撲中継の解説者としても活躍した。
さらに2002年には、日本相撲協会の第9第理事長に就任した。

4月7日|第57回選抜高校野球大会で高知・伊野商業高校が大会初出場で優勝


第57回選抜高校野球大会で高知の伊野商業高校が、初出場ながら見事優勝を果たした。

1回戦で優勝候補の一角だった東海大浦安を5-1で破ると、その後も快進撃を続け次々と強豪校を破った。

圧巻だったのは優勝候補最有力だった、KKコンビ擁するPL学園との準決勝だ。
伊野商業のエース・渡辺智男は、140キロを超す速球を武器に、強力打線を6安打1点に抑えた。

決勝では帝京から13の三振を奪い、見事4-0で完封勝利を果たした。

優勝の率役者となった渡辺は卒業後NTT四国を経て、西武にドラフト1位で入団した。

8月21日|第67回全国高校野球選手権大会で大阪・PL学園高校が優勝


第67回全国高校野球選手権大会で3年連続で決勝進出を果たした大阪・PL学園が優勝を果たした

PL学園は1年生の頃から主力として大活躍していた桑田真澄・清原和博のKKコンビが3年生として登場した。

2人の活躍もあり準決勝まで危なげなく勝利を重ね、決勝では宇部商業を熱戦の末4-3で破った。

この大会では清原が5本の本塁打を打つなど大活躍し、決勝で2打席連続HRを放った清原に「甲子園は清原のためにあるのか」と実況され話題になった。

1985年の主な事件

3月8日|芦屋市幼児誘拐事件

芦屋市幼児誘拐事件とは、高級住宅街に居住していた男児が誘拐され身代金を要求したが、その途中で犯人が事故死した事件である。

犯人は男児誘拐後、身代金5000万円を要求し、父親に5000万円を用意させバス停ベンチの下に現金の入ったバッグを置かせることに成功した。

しかし高速道路を横断しようとした犯人は雨で視界が悪い中、大型トラックにはねられ即死した。
犯人はサラ金に借金があり、その返済のための身代金要求であると推測された。

誘拐された幼児は「おっちゃんやさしくしてくれたのに」と驚いたという。

4月30日|自販機農薬ドリンク事件


自販機農薬ドリンク事件とは正式名称「パラコート連続毒殺事件」と言い、自販機に致死性の農薬が混入されたドリンクが置かれ、それを摂取した13人が死亡した事件である。

使用されたパラコートは除草剤で、18歳以上で印鑑があれば農協で購入することが可能であり15ccが致死量であった。
犠牲者は自販機に取り忘れの飲料があると思い、摂取し死に至った。

全国各地の自動販売機に置かれていたため、同一犯かどうかは不明であり、監視カメラも当時はなかったため全て未解決事件となっている。

対象が無差別であったため、自販機を利用する前には受け取り口を確認してから購入するといった予防策が流行した。

6月18日|豊田商事会長刺殺事件


豊田商事会長刺殺事件とは、悪徳商法により多数の被害者を出した豊田商事会長・永野一男が、自宅前に多くのマスコミが張り込む中殺害された事件である。

豊田商事は被害者数万人、被害総額2000億円の巨大詐欺事件を起こしていた。
逮捕を聞きつけたマスコミがマンションの部屋の前に集まる中、詐欺被害者の元上司2人が永野の玄関横窓アルミサッシを蹴破り侵入した。

犯人は永野の頭部など全身を刺し、侵入する模様はTVで放送された。

永野が刺殺されたことで事件の全容が解明できなくなったことから、犯人は関係者に依頼されたのではないかと憶測が流れている。

犯人2人には懲役10年と8年の実刑判決が下され、出所済である。

8月12日|日本航空123便墜落事故発生


日本航空123便墜落事故とは、日本航空747型機が群馬県の山中に墜落し、死者520名(生存者4名)を出した航空事故で、単独の航空事故の死者数としては世界最多である。
1980年代に報道されたニュースとしては、間違いなく上位に食い込むほど大きく報道がなされた。

18時24分に衝撃音が発生し18時56分に墜落したため30分程度の猶予があった。
それゆえ、その間の機長の音声記録(動画)や、後から発見された墜落中の乗客の遺書、生存者の証言など、事故発生から墜落までの状況が生々しく判明・報道され、視聴者の心を痛めた。

乗客には歌手の坂本九、阪神タイガース球団社長の中埜肇など著名人が数多く乗っており、事故に巻き込まれて他界している。

原因はボーイング社の機体修理不備という見解が公式になされている。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。