1980年(昭和55年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では1980年(昭和55年)に起きた芸能・文化・スポーツ・事件・事故などを紹介・解説しています。

1980年の主要ニュース

4月25|一億円拾得事件で大貫久男さんが一躍、有名人に


「一億円拾得事件」とは、トラック運転手の大貫久男さんが銀座3丁目の道路脇で1億円の入った風呂敷包みを拾得した事件。

落とし主不明のまま6カ月が経過したため、1億円は大貫久男さんのものとなった。
TVで一躍有名迅となった大貫だったが、自宅には脅迫まがいの電話や手紙が殺到した。

拾得した1億円から、所得税として3400万円、マンション購入費として3690万円が支払われ、その後大貫はトラック運転手として再就職し2000年12月2日に他界した。

お笑いコンビ「夫婦のじかん」の大貫幹枝は大貫久男の孫である。

5月19日|ハプニング解散により衆議院解散、大平内閣総理大臣の急死と鈴木内閣発足


ハプニング解散とは、野党が出した内閣不信任案が意図せず可決されてしまい解散総選挙となったなんともマヌケな政治的出来事

1978年に内閣総理大臣に就任した大平正芳だったが、政権基盤が固くないこともあり1979年に自民党内で派閥争いが激化した。
1980年5月16日に社会党が内閣不信任決議案を提出したが、野党によるパフォーマンスの意味が大きく、不信任案が可決されるとは予想していなかった。

しかし自民党内の反大平派が採決を欠席したことにより、不信任案が可決、衆議院は解散することとなった(ハプニング解散)。

大平は衆議院総選挙を参議院選挙の日に合わせて行い政局の舵を取ろうとしたが、高齢と過労により5月30日に入院、6月12日に急死する。

先の派閥争いは大平の死を契機に収束、弔い合戦となった選挙では自民党が圧勝し、7月14日に鈴木新内閣が発足した。

詳しくは歴代の総理大臣・大平正芳を参照お願いします

12月|日本の自動車生産台数が世界一となる

1980年12月、日本の自動車生産台数が年間1104万台に到達し、米国を抜いて世界一の自動車生産台数となった

これは言い換えれば日本の自動車が海外へ輸出されるようになったことを意味し、とくに対米輸出は増大し、日米貿易摩擦問題が発生する原因ともなる。

アメリカは自動車の輸出規制や日本の市場開放、とくに米を含む農産物についての圧力を強めた。

1980年の文化・芸能ニュース

1月16日|ポールマッカートニー逮捕


ポールマッカートニーの新しいバンド、「ウイングス」の日本公演のため来日していたポールだったが、成田空港の税関で大麻を所持していたところを摘発されてしまう。

10日間の拘留後に米国へ送還されたポールだが、当然予定されていたウイングス日本公演は全て中止される事態となってしまった。

3月7日|山口百恵が三浦友和との婚約を発表、そして衝撃の引退発言


山口百恵と三浦友和の結婚、そして山口百恵の引退が同時に発表されるという衝撃的な記者会見が行われた。

前年10月に交際宣言をしていた山口百恵と三浦友和でしたが、1980年3月7日の午後2時、マスコミ各社に山口百恵と三浦友和が記者会見を開くという一報が届く。

そしてその記者会見の席で山口百恵は「お仕事は全面的に引退」という衝撃の言葉を発し、同年10月15日にはラストコンサートを行い引退する。

4月1日| 松田聖子『裸足の季節』でレコードデビュー


山口百恵引退の年、アイドル交代を象徴する出来事となったのが松田聖子のデビューだった。

松田聖子は資生堂エクボ洗顔フォームのCMモデルとして応募するも、エクボが無いため不合格、代わりに同商品のCMソングとして起用されることになった。

『裸足の季節』は初登場53位ながらも、評判を徐々に上げ最終的には30万枚を売り上げるスマッシュヒットとなった。

6月21日| 田原俊彦が『哀愁でいと』でレコードデビュー


1980年にジャニーズ事務所から歌手デビューしたのが田原俊彦だった。

1979年に3年B組金八先生でお茶の間の人気者となった田原俊彦は『哀愁でいと』で歌手としての道を歩み始め、郷ひろみ・西城秀樹らから男性アイドルの座を奪った。

『哀愁でいと』は田原俊彦最大のヒット曲となり71.9万枚を売り上げた。

7月15日| 牛丼の吉野家が倒産

吉野家は2020年現在も美味しい牛丼を我々に安く提供し続けてくれる庶民の味方だが、1980年に吉野家は一度倒産してる。

倒産の原因は次のように分析されている。

店舗の急増に伴い、つゆのコストダウンのために粉末のつゆに変更したこと、輸入牛肉の供給不足のため、輸入制限が適用されないフリーズドライの乾燥牛肉の利用に踏み切った事から、味の悪化による客離れの進行、さらに外食産業の発達に伴う輸入牛肉の需要増により、牛肉価格の高騰から原価の上昇などの複合要因によって、経営が急激に悪化した事が原因。
Wikipediaより引用

その後セゾングループの支援を受け復活した吉野家は、2007年10月に二代目の株式会社吉野家が誕生、現在に至る。

10月15日|山口百恵引退、マイクを置いて退場

山口百恵引退

メディガクより引用

三浦友和との結婚により引退を決意した山口百恵は、1980年10月15日のラストコンサートをもって引退

マイクを舞台に置いて去るパフォーマンスは伝説となった。

山口百恵の現在

エントピより引用

その後芸能活動には一切戻らなかった山口百恵でしたが、2020年現在の近影は上記画像のようになっています。

12月8日|ジョン・レノンがニューヨークで射殺される


1970年に解散した元ビートルズのボーカル、ジョン・レノンは40歳の若さで他界した。
その原因は射殺だった。

ジョン・レノン射殺犯であるマーク・チャップマンは、ジョン・レノンと妻であるオノ・ヨーコを自宅であるダコタ・ハウス前で待ち伏せた。
「レノンさん」と呼びかけた数秒後、レノンの背中めがけて5発ほど銃を発射した。

レノンは病院へ運ばれたが、すでに脈はなく呼吸もとまっていた。

犯人のチャップマンはレノンの狂信的なファンであったが、精神障害があったとみられ、殺害理由としては「有名になりたくてレノンを殺した」と述べており、2020年現在も服役中である。

1980年の主な事件

1月31日「熊野一族7人殺害事件」が発生

熊野一族7人殺害

twitterより引用

「熊野一族7人殺害事件」は三重県の集落で7人が殺害された大量殺人事件

農業を営んでいた男が親族10人を散弾銃・斧で襲撃、7人を殺害、3人に重軽傷を負わし、加害者は散弾銃で自殺した。

加害者は以前にも傷害事件や暴力行為で執行猶予付きの有罪判決を受けるなどの前歴があった。
当時は中学1年生だった長男が、腎臓病のため入院しており事件前からノイローゼとなっていたことが原因とされている。

2月23日|「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」が発生、別名「赤いフェアレディ事件」

富山・長野連続女性誘拐殺人事件

東長崎機関より引用

「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」とは1980年2月に女子高生が、3月にOLが殺害された事件

ギフト店の経営が立ち行かなくなった犯人がサラ金に手を出し借金を背負ったため、身代金目的で女性を誘拐、殺害した。
現場近くで赤いフェアレディが発見されていることから「赤いフェアレディ事件」とも呼ばれている。

犯人の女性は死刑が確定している。

7月3日|「イエスの方舟事件」で行方不明となっていた信者が発見される


イエスの方舟事件とは、結論から言えばマスコミの宗教活動に対する過剰なバッシング事件であったと言える。

聖書勉強会を行っていた千石剛賢の元に信者が集まり、1978年から千石と信者ら26人は全国を転々とし始める。
信者の多くは家族を捨ててきたものであり、信者の家族は捜索願の届け出やマスコミへの協力を求めた。

マスコミ各社はイエスの方舟をカルト集団的な扱いで報道を行ったが、信者らが記者会見に臨み事件性がないことが明るみとなった。

千石はその後「シオンの娘」と呼ばれるクラブを経営、来客の悩みをきくための活動を行ったが2001年に死去した。
シオンの娘」は2020年現在も福岡県で営業中である。

8月16日|「静岡駅前地下街爆発事故」


「静岡駅前地下鉄爆発事故」は静岡駅の地下街でメタンガスと都市ガスが二度にわたり爆発、15名が死亡、223名負傷した事件

8月16日午前9時31分にメタンガスを原因とする小規模な爆発が発生、この爆発によりビル内の都市ガスのガス管が破裂、都市ガスが地下街およびビル上層部にまで充満する。
消防士が排気および脱出を指示したが間に合わず、午前9時56分に大規模な爆発が発生した。

事故発生時にゴールデン街と呼ばれていた地下街は、2020年現在「紺屋町地下街」と改称されている。

8月19日|「新宿西口バス放火事件」


「新宿西口バス放火事件」とは、東京都新宿区の新宿駅西口バスターミナルで路線バスが放火され、6人が死亡、14名が重軽傷を負った事件
犯人はバス後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両へ投げ入れた。

犯行の動機は「日ごろのうっぷんを晴らすため」であり、階段に座って酒を飲んでいたところを誰かに注意されたため犯行に及んだ。

犯人は無期懲役となったが、1997年に刑務所内で首吊り自殺した。

1980年(昭和55年)11月20日に起こった「川治プリンスホテル火災」

川治プリンスホテル火災

防災システム研究所より引用

「川治プリンスホテル火災」とは、川治温泉にあったホテルで、露天風呂の解体工事中に使用されたガスバーナーの火花を原因とする火災が発生、死者45名を出す大惨事となった事故である。

火災発生時に火災報知器が作動したにも関わらず、従業員が「これはテストですからご安心ください」と館内放送を流したことや、ホテルが増改築のため迷路のような構造となっていたことが多数の死者を出した原因とされている。

2020年現在ホテルは取り壊され保養所となっている。

1980年(昭和55年)に起こったスポーツ界の出来事

5月24日|日本がモスクワオリンピック不参加を決定


オリンピックイヤーとなった1980年だったが、日本はモスクワオリンピックを不参加(ボイコット)することを決定する。

冷戦下(資本主義と社会主義の対立)において、開催国であるソ連がアフガニスタンへ進行したことを発端とし、対立するアメリカ合衆国がオリンピックのボイコットを呼びかける。

アメリカに呼応して日本や韓国・中国など50か国がボイコットを行う事態となり、日本の選手はモスクワオリンピックへの参加を涙ながらに訴えた(動画)。

6月15日|全米オープンゴルフで青木功が日本人初の2位入賞


日本人ゴルフプレイヤーが世界を舞台に功績を残すことは稀であるが、1980年には青木功が全米オープンで快挙を成し遂げた

全米オープンはゴルフ四大大会の1つであり、日本人男子では2020年現在四大大会を制したプレイヤーは0人。

歴代で四大大会優勝に最も肉薄したのが、1980年6月15日の全米オープンで青木が魅せた「バルタスロールの死闘」だった。

最終的に帝王ジャック・ニクラウスと2打差の2位となったが、四大大会2位という功績は2020年現在でも他の日本人選手に破られていない。

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