1997年(平成9年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では1997年(平成9年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

1997年(平成9年)の主要ニュース

1月2日|ナホトカ号重油流出事故発生


ナホトカ号重油流出事故は、島根県沖島沖の日本海で発生した重油流出事故である。
鳥などの生き物たちが重油にまみれた写真や、ボランティア活動によって重油の除去作業が行われたことが話題となった。

重油流出の原因となったのは、ロシア籍のタンカーであり、日本海沖で船体に亀裂が入り船体が分断され重油が流出した。
タンカーは暖房用の重油を19,000リットル積載しており、大量の重油が日本の海岸に漂流した。

当初重油は沖島沖から北東へ流れると予測されていたが、予想に反し福井県や島根県・石川県にかけての広い範囲の海岸に重油が漂着した。
重油の回収は手作業で行われ、地元住人、自衛隊、ボランティアなどが作業にあたった

これは重油の漂着場所が岩場であったため、機材を利用しての回収が困難であったことがあげられる。

2月19日|神戸連続児童殺傷事件発生


神戸連続児童殺傷事件とは別名「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれ、当時14歳であった少年が犯人であったことや、死体を切断しその頭部を自分が通う中学校の校門へ置いたこと、警察を挑発する犯行声明文を出したことなど、極めて特異な事件として社会に大きな影響を与えた。

神戸連続児童殺傷事件は、2月10日に神戸市須磨区の路上で女児2人がショックレスハンマーで殴られ1人が重傷を負ったことに端を発した。
3月16日の第二の事件では、神戸市須磨区竜が台の公園で女児が金づちで殴られ死亡した。
そして最後の事件となる5月24日、犯人の少年は知り合いの男児を神戸市須磨区の「タンク山」と呼ばれる高台へ連れていき絞殺、翌日に男児の首を糸のこぎりで切断した。

自宅へ男児の首を持ち帰るなどした犯人は、5月27日に自分が通う中学校の校門前に男児の首と犯行声明文を置き、自宅へと戻った。
犯行声明文は自らを「学校殺死の酒鬼薔薇」と名乗り、「愚鈍な警察諸君」など警察を挑発する内容であった。

6月4日に神戸新聞宛に再度声明文を出したことで、筆跡鑑定にひっかかり、6月28日に犯人の少年は逮捕された。
1997年に関東医療少年院へ送致された少年だが2004年末で保護観察期間が過ぎ、2015年に手記『絶歌 神戸連続児童殺傷事件』を刊行、また同年に犯人の少年がホームページを公開していたが、2016年に閉鎖している。

4月1日|消費税増税実施(3%⇒5%)


1989年に導入された消費税は税率3%であったが、1997年4月1日より消費税率が5%に引き上げられた。
1994年に社会党の村山富市を総理大臣とする村山内閣が、消費税増税の為の税制改革関連法案を成立させ、1997年に橋本内閣が実施したのである。

だが消費税5%への引き上げ前と比較すると、国税収入は2.7兆円減少し、翌年にはさらに2.2兆円の減少となってしまった。
このことから消費税増税により景気が悪化し、国税収入が減少したという見方がなされる一方で、景気の悪化は1997年のアジア通貨危機・山一証券や北海道拓殖銀行の破綻が原因だとする意見も見られた。

いずれにせよ消費税導入後に景気が悪化したことにより、今回の消費税導入以降は景気悪化時の引き上げが躊躇され、引き上げと同時に一時的な減税政策が行われるなどの緩和措置が施されるようになった

5月23日|第一勧業銀行が総会屋へ多額の利益を供与していたことが判明

日本プロファイル研究所より引用

第一勧業銀行(現みずほ銀行)が総会屋に多額の資金を無担保で融資していたことが明らかとなった。
その資金は460億円にものぼり、東京地方検察庁特別捜査部は第一勧業銀行に対し家宅捜索を行った。

記者会見では第一勧業銀行の副頭取が「以前から不正融資を知っていた」と発言するなど、総会屋と第一勧業銀行の黒い関係が明らかにされた。
460億円の資金を元に総会屋は野村・大和・日興・山一ら四大証券会社の株式を取得し、株主提案権を盾として株主総会で各社に脅しをかけ、証券会社からさらに利益を引き出していた。

この事件では第一勧業銀行の元頭取ら11人が逮捕され、宮崎邦次元会長が自殺することとなった。
また翌年の1998年には大蔵省接待汚職事件が報道され、銀行と監督すべき立場である大蔵省との腐った関係が国民に知られる事態となった。

9月18日|小売業のヤオハンが倒産、会社更生法を申請する


1997に年商5000憶円を叩き出していたヤオハングループが倒産した。
ヤオハングループの倒産は、流通企業として当時最大の規模であり、東海地方を中心に展開する450店舗が整理されることとなった。

ヤオハングループは1990年代に市場から多額の資金を集め、国内外の店舗拡大をはかるが投資先の店舗は赤字が続き、資金難に陥った。
その後会社更生法の適用を受け、ヤオハングループはイオングループの子会社であるマックスバリュ東海となっている。

11月17日|北海道拓殖銀行が破綻


北海道拓殖銀行は北海道で唯一の都市銀行であったが、1バブル期に大規模な融資を行ったことが原因で1997年に経営破綻した。

1994年に講談社から発売されている週刊誌「週刊現代」で、北海道拓殖銀行の経営基盤の危うさが伝えられた。
翌1995年に北海道拓殖銀行は設立以来初の赤字に転落し、格付け会社から「非常に弱い財務内容」と低い評価を与えられる。

破綻が近づいていることが明らかになるにつれ、大口の投資家や一般利用者が預金の解約などを行うようになり、銀行から資金の流出が進んだ。
資金繰りに苦しんだ拓殖銀行は北洋銀行への営業譲渡を決定し、1997年11月17日に北洋銀行への事業継承を発表した。

都銀の破綻は前代未聞であり、事業継承が行われた11月17日には600億円の預金が解約された。

11月22日|山一證券破綻


山一証券は野村・大和・日興証券とともに4大証券と呼ばれた証券会社の1つであり、1997年に破綻した際には大きな衝撃を与え、バブル崩壊後の日本を象徴する出来事としてたびたびテレビに取りあげられた。
山一証券の破綻は戦後の証券会社の倒産としては過去最大であり、記者会見で社長が「社員は悪くありませんから」と涙で訴える姿が繰り返し報道された。

山一証券は戦後から個人顧客相手の営業手法から、法人相手へと切り替えを行っていた。
しかしバブル崩壊により取引先の多くが経営不振に陥ると、投資資金が逃げ出し業績不振へ陥った。

また法人相手の場合、運用利回り保証や損失補償を求められるため運用に制限がかかり、損失を法人へ請求することが困難であるという側面があった。
それゆえバブル崩壊時の損失は山一証券がかぶることとなり、破綻の原因となった。

また山一証券はかつて銀行出身者の経営陣がリストラを断行し、それが経営危機と報道されて取り付け騒ぎとなったことがあった。
それゆえ社内では銀行出身者に対する冷遇があり、経営危機時に銀行から支援を受けられない原因となったとも言われている。

1997年(平成9年)の文化・芸能ニュース

1月10日|歌手の松田聖子と俳優の神田正輝が離婚


松田聖子は1962年生まれのアイドルで、1980年代を代表するアイドルとして活躍した。
神田正輝は「太陽に吠えろ!」などを代表作とする1950年生まれの俳優で、1985年には人気俳優の一人として著名な人物であった。

1985年の松田聖子と神田正輝の結婚時には、二人の名字をとって聖輝(世紀)の結婚とよばれ、超大物芸能人2人の結婚として大きな報道がされた。
翌年には娘の神田沙也加が誕生したが、1997年に離婚したことが報じられた。

離婚の原因は松田聖子の幾度にわたる不倫が原因と言われている。
1989年2月にはニューヨークで近藤真彦との密会をスクープされ、1994年には英会話講師のジェフ・ニコルスとの密会が明らかとなりジェフ・ニコルスは暴露本「真実の愛」を出版した。
ジェフは聖子と結婚を約束していたが、反故にされたため暴露本を出版したと語っている。

離婚後、神田沙也加の親権は松田聖子が持ったが、2017年神田沙也加が結婚した際にコメントを残さないことなどから、親子間の確執が報じられている。

3月29日|NHKテレビアニメ『YAT安心!宇宙旅行』の視聴者がてんかん発症を訴える事案が発生

home-aki.la.coocan.jpより引用

NHKテレビアニメ『YAT安心!宇宙旅行』の視聴者がてんかんを発症する事案が発生した。

これらの事案は「光過敏性てんかん」と呼ばれ、視覚に飛び込んだ光刺激に対し、脳が興奮して発作を起こすものであった。
アニメを視聴していた児童数名が病院に運ばれたが、後のポケモンショックほどの大きな報道はされてはいなかった。

しかし、この9か月後にはアニメ『ポケットモンスター』にて同様の事案(ポケモンショック)が発生し、全国で700名近くが病院に運ばれる一大事となる。
NHK側は、『YAT安心!宇宙旅行』での原因を明らかにして対策を取っていればポケモンショックは防げていたかもしれない、と陳謝した。

発作の誘発には、てんかん以外の複数の要素が絡み合っている可能性もあり、いまだ詳しい原因は明らかになっていない。

8月7日|『金田一少年の事件簿』の「異人館村殺人事件」に盗作が発覚

台詞逆輸入より引用

『金田一少年の事件簿』は、週刊少年マガジンにて連載された推理漫画の先駆けとも言える作品である。
作中の功名なトリックに魅了されるファンも多く、子どもから大人まで人気を博していた。

そんな金田一少年の事件簿のFile2「異人館村殺人事件」において、トリックの盗作が発覚したのである。
島田荘司の小説『占星術殺人事件』のトリックをそのまま盗用したものであり、島田側から抗議されたことで発覚した。

金田一少年の事件簿は高い人気を誇っておりドラマ化もされたが、同編は欠番扱いでDVDにも収録されていない。

11月2日|『ダウンタウンのごっつええ感じ』終了


『ダウンタウンのごっつええ感じ」は、コントとロケを中心に構成されたフジテレビ系の人気バラエティ番組である。
お笑いコンビ・ダウンタウンの冠番組のひとつで、お笑い好きを中心に大人気であったが、人気絶頂期に突然の放送終了となった。

番組人気の裏側では、過激な内容やダウンタウン以外のレギュラーへの冷遇に批判や苦情が寄せられており、フジテレビや吉本興業はクレーム対応に追われていた。

番組終了の決定的な要因となったのは、予定されていたスペシャルの放送が野球中継と入れ替えられたことによる、松本人志と局側のトラブルとされている。
松本にとってその時のスペシャル番組はその日に放送されないと意味がないものであり、事前連絡なしに放送予定を変更されたことに大激怒したのだ。

その他にも以前から番組セットの作りが甘いことに松本が苦言を呈しており、これまでの不満が爆発した部分もあったとされている。

12月16日|ポケモンショック発生


ポケモンショックとは、大人気テレビアニメ『ポケットモンスター』の視聴者が、強いフラッシュ画面が原因のてんかんなどの症状で病院へ運ばれた事故である。

症状を訴えた多くが児童であり、病院への搬送者は651人にものぼる。
テレビ番組の視聴によるここまでの被害は、世界的にも史上初の出来事だった。

この事件の影響で、ポケモンのアニメ放送が停止されたが、放送再開を望む声が多かったことから4カ月の停止後に再開した。
なお、事件を受け、ピカチュウの10万ボルトや光が強いシーンの表現が修正されている。

テレビアニメ開始時によく見られる「部屋を明るくしてはなれて見てね」というテロップは、このポケモンショックを受けて表示されるようになったものである。

12月20日|伊丹十三が死去


伊丹十三は、デザイナー、俳優、映画監督など様々な分野で活躍したタレントである。
そんな伊丹十三が、この日、伊丹プロダクションのあるマンション下で遺体となって発見された。

飛び降り自殺とされているが、死因には不明な点が多く、自殺を否定する声も多い。

その理由のひとつが、ワープロ印字の遺書である。
伊丹は以前からレタリングに定評があり、自身も書き文字に拘っていたことから、遺書がワープロで作成されたことに大きな違和感を感じる者が多かった。

一説には、暴力団が関与しているのではないかという話もあるが、今もなお伊丹の死去は謎が多いままである。

12月31日|X JAPANの解散ライヴが東京ドームで行われた


XJAPANは、日本のヴィジュアル系バンドの先駆け的存在で、「紅」や「Rusty Nail」、「Foever Love」といった名曲を世に送り出したロックバンドである。
圧倒的な歌唱力と演奏力、ド派手な見た目とパフォーマンスで一世を風靡したXJAPANであったが、ボーカルTOSHIの脱退により、1997年9月22日をもって解散となった。

その後、ファンへの「けじめ」として開催されたのが、東京ドームで行われたこの解散ライブである。

『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』と題されたこのライブでは、それまで確執が生まれていたYOSHIKIとTOSHIも抱き合い、ファンの間では伝説のライブとなった。

TOSHIの脱退により解散したXJAPANは、新たなボーカリストを迎えて2000年に再結成する予定であったが、1998年にHIDEが逝去する。
これによりすべてが白紙となったが、2007に再結成し、以降次々と世界進出を果たしている

1997年(平成9年)の事件

3月9日|東電OL殺人事件発生


東電OL殺人事件とは、東京電力幹部職員であった女性がアパートで殺害された事件である。
ネパール人が犯人として有罪判決をうけたが、のちに冤罪であることが判明し釈放された。

また被害者女性は慶応大学卒業後、東京電力に初の女性総合職として入社したが、仕事終わりに売春を行っていたことが発覚し、裏と表で別の顔を持っていたことがセンセーショナルに取り上げられた。

2000年誤認逮捕されたネパール人は、犯行直前に事件現場にいたことや、事件後に金を得たことなどを理由に有罪判決が下された。
しかし新たなDNA鑑定により、犯行現場から別人のDNA型が鑑定されるなどしたため、2012年に再審が行われ無罪判決が下された。

なお真犯人は見つかっておらず、未解決事件となっている。

1997年(平成9年)のスポーツニュース

1月25日|女子テニスのマルチナ・ヒンギスが史上最年少16歳3か月で全米オープン優勝

スイスの女子プロテニス選手マルチナ・ヒンギスが、史上最年少16歳3ヶ月で全米オープン優勝を果たした。
またわずか3か月後には、やはり史上最年少(16歳6ヵ月)で女子テニス世界ランキング1位を達成した。

14歳の若さでプロデビューを果たしたマルチナ・ヒンギスだったが、1995年の全豪オープンで4大大会初出場を果たすと翌年のWTAツアーで優勝、女子テニス世界ランキングを4位にまで上げていた。
世界ランキング1位となった後は、ウィンブルドン、全米オープンを勝ち取り、16歳にして4大大会のうち3つを制している。

しかし1999年全豪オープンを最後に、四大大会のシングルス優勝から遠ざかり、2003年に引退した。
2005年に現役復帰、2007年に再度引退、2013年に32歳の年齢で2度目の現役復帰をダブルスで飾り、ダブルスランキング1位を獲得している。
その後2017年に3度目の引退を行い、テニスからは遠ざかっている

10月11日|総合格闘技イベントPRIDE.1が開催


日本を代表する格闘技イベントPRIDEの第1回目となるPRIDE.1が東京ドームで開催された。

PRIDEは元々は高田延彦VSヒクソン・グレイシーの試合を組むためのイベントであり、開催はこの1回限りの予定であった。
メインの一戦では、無敵のヒクソングレイシーの前に高田延彦はほぼ何もできず、腕ひしぎ十字固めにより1ラウンドで決着がついた。

しかし第1回大会の大盛況により、翌年にはPRIDE.2を開催、それ以降様相を変えながらシリーズ化されていき、日本の格闘技ブームを支える巨大コンテンツに成長していく。

11月16日|サッカー日本代表がW杯初出場を決める(ジョホールバルの歓喜)


サッカー日本代表がW杯初出場を決め、日本中が歓喜に包まれたのはこの日である。

予選B組の2位として臨んだこのアジア第3代表決定戦の相手はイラクだった。

試合は日本が1-0で先制して前半を折り返すも、後半早々に1-2とリードされる。
しかし、後半31分に追いつくと、延長後半13分に延長戦から投入された岡野がゴールを決めて見事に勝利を収めた。

この激戦はフジテレビで生中継され、日曜深夜の放送だったにも関わらず平均視聴率は47.9%を記録した。
この出来事は、マレーシアのジョホールバルで開催されたことから、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれている。

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