1993年(平成5年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では1993年(平成5年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

目次

1993年(平成5年)の主要ニュース

5月4日|カンボジアPKOで1人死亡、4人が重軽傷を負う


カンボジアへPKOとして選挙監視団に派遣されていた、日本の文民警察官が1人死亡した
死亡したのは高田晴行(33)で、武装集団による攻撃を受けて殉職した。

高田は機動隊に所属していた1992年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警官に採用され、カンボジアでPKO活動を行っていたところを、ポル・ポト派と思われる武装ゲリラの襲撃を受け殺害された。

事件の影響により警官のPKO派遣は行われなくなったが、2006年に東ティモールへ派遣されたことで警察官のPKO参加が復活している。

6月9日|皇太子徳仁親王、小和田雅子さまご結婚


1988年から皇太子妃候補と言われた小和田雅子と、皇太子徳仁親王の結婚の儀が執り行われた。

二人が初めて出会ったのは1986年であったが、当初小和田雅子は皇族になることに難色を示していた。
加えて妃候補の噂が立ち、マスコミが小和田雅子の元へ取材攻勢をかけたことや、イギリス留学へ旅立ったことから一度は話が立ち消えとなった。

しかし1992年になり再度皇室側から小和田雅子への打診があった。
それでも小和田側は「気持ちが決まらない」と半ば断りとも思える返事をしているが、同年12月12日に求婚を受諾した。
求婚受諾の理由として、外務省で女性が働いても課長以上に出世できない現実や、皇室で役立つことが自分の役割であると考えるようになったからと言われている。

婚約の儀は国を挙げての一大行事となり、テレビ中継放送の最高視聴率は79.2%を記録、成婚パレードには19万人の市民が集まった。
小和田雅子は外務省に勤めるキャリアウーマンで、自分の言葉でインタビューに受け答えする姿からも、皇室の古い体質に変革をもたらすのではないかと期待された。
2001年には第一皇女となる愛子内親王が誕生している。

6月29日|ゼネコン汚職が相次ぎ発覚


1993年に起きたゼネコン汚職事件は、32名が起訴され、建設相・県知事・市長らが逮捕される大規模な事件へと発展した

ゼネコン汚職事件は、1993年に金丸信が政治資金を流用して個人資産を形成したとして逮捕されたことに端を発した。
東京地検特捜部は金丸の押収資料から、ゼネコン各社が中央・地方政界へ多額の賄賂を送金している事実を突き止め、茨城県・宮城県知事や仙台市長が逮捕された。

また贈賄容疑で清水健室・鹿島建設・大林組など大手ゼネコンの役員らが多数逮捕されるなど、贈賄・収賄あわせて32名が起訴され、公判中に死亡した1名を除く31名の有罪が確定している。

7月12日|北海道南西沖地震発生、死者202・行方不明28名


北海道南西沖地震とは北海道奥尻郡奥尻町で発生したマグニチュード7・8の大型地震であり、日本海側で発生した地震としては近代では最大規模の地震である。

奥尻島を中心に発生したことから「奥尻島地震」とも呼ばれ、死者202人、行方不明者28名を出した。
当時の奥尻島の人口は4700名ほどであったため、死傷者の数字以上に島には大きな打撃を与えた。

また奥尻島地震により島からの転出者が増え、島の人口は減少しつつあり、2020年現在で人口は2578人となっている。

7月18日|嘘つき解散により、第40回衆議院議員総選挙が行われる


※嘘つき解散は、2分8秒から

嘘つき解散とは、1993年の宮沢喜一内閣による衆議院解散を指す。
宮澤喜一首相が「今国会中に衆議院の選挙制度改革をやります」とTV番組で言ったにも関わらず、自民党内の意見をまとめきれず、次の国会へ先送りしたため「嘘つき解散」と呼ばれるようになった。

野党が不信任案を提出したが、衆議院の過半数を自民党が占めていたため不信任案は否決される見通しであった。
しかし自民党内で冷遇していた羽田派が賛成に回ったため不信任案は可決され、第40回衆議院選挙が行われることとなった。
また自民党内の内紛が解散を招いたことから、嘘つき解散は「自爆解散」と呼ばれることもある。

8月9日|さきがけ・新生・日本新党らによる、非自民連立政権・細川内閣が発足、55年体制が崩壊する


嘘つき解散により行われた第40回衆議院選挙では、自民党は全511議席に対し、選挙前から1議席増加の223議席を獲得した。
しかしこれまで反自民から社会党へ流れていた票が、新生党・日本新党など新しい政党へ流れたため、自民党と社会党の対立構造が崩壊した。

また新生党・日本新党は新生党である「さきがけ日本新党」を結成し、野党側へ合流したため、野党8党からなる連立政権が細川護熙を首相とする内閣を樹立する。
すなわち自民党がはじめて野党へ移行したため、1955年から続いてた自民党と社会党の対立構造「55年体制」が崩壊したのである。

12月9日|姫路城、法隆寺、屋久島、白神山地が、日本での初の世界遺産に登録される

mikoshistoriesより引用

世界遺産とは1972年のユネスコ総会で採択された世界遺産条約により、顕著な普遍的な価値を持つ文化財・景観・自然などの物件を指す。
1993年に日本で初めて世界遺産が4つ登録され、兵庫県の姫路城、奈良県の法隆寺、鹿児島県の屋久島、青森県から秋田県にかけて広がる白神山地が選ばれた

世界遺産登録理由はそれぞれ次のとおりである。

  • 姫路城:日本の木造建築における最高の美的完成度を評価
  • 法隆寺:世界最古の木造建築の仏教建造物が設計も装飾も美しく、人類の創造的才能を表現している
  • 屋久島:類例を見ない自然美および美的要素をもつ優れた自然現象、あるいは地域を含む
  • 白神山地:人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の希望で分布しているため

12月14日|記録的冷夏によりコメ市場が部分開放


日本は1993年まで米を完全自給していたが、12月14日に米の輸入を決定する。
その理由は「平成の米騒動」により、国内の自給体制の危うさが露呈したこと、米の市場開放を求める外圧に屈したからである。

1993年は記録的な冷夏により、米が記録的な不作となり米の買い占めなどに走る人が多く現れた。
また普段米を置いていなかったコンビニなどでも少量パックの米が目玉商品として販売されるなどの現象となり、この年を境にコンビニでは米が定番商品として販売されるに至った。
この現象は「平成の米騒動」とも呼ばれ、9月にはタイや中国、アメリカから米の緊急輸入を行った。

しかしタイ米は日本人の食生活には合わなかった。
対応策として日本米とタイ米をブレンドした商品が販売されたが、余計に日本人の舌に合うものではなくなってしまったため、タイ米を大量廃棄する事態となった。
タイは日本のコメ不足を助けるため在庫のタイ米を全て放出した結果、タイ国内のコメ価格は急騰していたため、倫理的な観点からタイ米の扱いが外交問題となった。

このような混乱を受けて一時的な米の輸入ではなく米市場の部分開放を政府は決定したが、コメ不足は1994年は夏の猛暑により米が豊作となり米騒動は終息した。

1993年(平成5年)の文化・芸能ニュース

1月22日|東京・石神井川で矢が刺さった鴨が発見される(矢ガモ騒動)

ミドルエッジより引用

1993年のワイドショーを最も賑わしたのは「矢がも」だった。

1月22日に東京都石神井川で発見された鴨は、クロスボウの矢で射られており、矢がささったまま生きている状態であった。
2月1日より板橋区の職員が保護活動を開始すると、連日その様子がワイドショーで放送され、矢がもの姿を見ようとする人が殺到するなど社会問題となった。

矢がもは2月12日に上野動物園で保護されたのち自然へ放され、無事に群れに合流した。

矢を撃った犯人は明らかにならなかったが、2000年に週刊朝日は事件の真犯人を東京都内の医学部生と報じた。
医学部生は騒動が過熱するにつれ、精神に支障をきたし大学を退学したと報じられている。

3月8日|松本伊代とヒロミが結婚


松本伊代は1965年生まれの80年代を代表するアイドルで、歌手や番組の司会を務めるなどマルチに活躍を行っていた。
一方ヒロミは1965年生まれのお笑いタレントで、1986年にお笑いトリオB21スペシャルを結成し、TVなどで活躍していた。

二人は「流行笑会」という番組で共演し、親交を深め1993年に結婚した

その後ふたりの間には長男が誕生し、長男は俳優となっている。

6月24日|『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』収録中に香港のミュージシャン、ウォン・カークイが転落事故死

フジテレビとTBS~土8戦争より引用

ウォン・カークイは香港のミュージシャンで、ロックバンドBEYONDのリーダーであった。
香港でトップスターであった黄家駒(ウォン・カークイ)は、日本での商業的成功を収めるため、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』に出演していた。

しかし、スタジオで3メートルほどの高さに設置されたゴンドラセットから足を滑らせて落下、コンクリートの地面で頭を強打し一週間後に救急搬送先の病院で死亡した
事故現場はセットが水浸しとなっており滑りやすい状況であったことや、床に緩衝材などの転落予防策が何も取られていなかったことなどが明らかとなっており、香港では黄家駒に対する悲しみと日本に対する怒りの声が寄せられた

この事故で『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』は放送打ち切りとなっている。

6月28日|オリコンシングルチャートで、ビーイング所属ミュージシャン(ZARD,B’z,TーBOLANなど)の楽曲が1位から6位までを独占

ビーイング現象とは、ビーイング所属アーティストがオリコンチャートを席巻した現象。
特に1993年6月28日付けのオリコンシングルチャートでは、1位から6位までをビーイング所属アーティストが独占する事態となった。

ビーイングは2000年に入り倉木麻衣や愛内里菜などのヒットアーティストの育成に成功しているが、以前ほどの勢いはなくなってしまう。
しかし1990年代に増大した資産で不動産投資を行い成功するなど、会社としての収益は現在も良好である。

8月11日|悪魔ちゃん命名騒動発生


悪魔ちゃん命名騒動とは、生誕した子供に「悪魔」と親が命名しようとしたが行政が受理を拒否した騒動である。

「悪魔ちゃん」の父親は、東京都昭島市に「悪魔」と命名した男児の出生届を提出したが、法務省は子どもの福祉を害する可能性があるとして親権の乱用を理由に不受理とした。

届出者の父親は東京家裁八王子支部へ不服申し立てを行い争ったが、家裁では親側の勝訴となった。
市は抗告したが、父親が「あくま」に類似した音の名前を届出したことが受理され、騒動は決着した。

騒動の特異性がワイドショーなどでさかんに報道され、父親はバラエティー番組などへ出演し話題となった。

出生届を提出した父親はその後1996年に覚醒剤取締法で逮捕され、2014年にも覚醒剤取締法および窃盗の容疑で逮捕されている。

12月25日|元フジテレビアナウンサー、逸見政孝氏がガンで死去


逸見政孝は大阪府出身のフリーアナウンサーであり、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!』や『たけし・逸見の平成教育委員会』などの人気TV番組の司会を務めた。

元々はフジテレビのアナウンサーでありニュースキャスターとして報道を行っていたが、『夕やけニャンニャン』でとんねるずらとトークが面白いと話題になっていた。
逸見は管理職へ昇進し、アナウンサーとしての出演が減少したため、フジテレビを退社しフリーアナウンサーとなる。
その後は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!』などを代表とする人気番組の司会者としてお茶の間の人気者となった。

しかし1993年に胃がんが発覚し、胃を切除する手術を受ける。
逸見は執刀医から初期のガンであり、手術すれば完治すると告げられていたが、妻には5年先の生存率はゼロであると告げられていた。

執刀医に疑問を持った逸見は、9月になり東京女子医科大学病院へ受診する。
その際、逸見は初めてガンであることを告げられ再度手術を行う決意をし、9月6日に緊急記者会見を開き自らがガンであることを公表した。

しかし10月23日に腸閉塞を発症、絶食となり点滴治療を続けたが回復には至らず12月24日に他界した。
葬儀・告別式には生前共演していた多数の芸能人が集まり、別れを惜しんだ。

1993年(平成5年)の事件

1月13日|いじめ事件として注目された「山形マット死事件」


山形マット死事件とは、新庄市立明倫中学校でいじめを行っていた男子生徒7人が、被害者男子生徒を体育用マットの中に逆さの状態で放置し窒息死させた事件
学校でのいじめ事件を象徴する出来事であり、歴代のいじめ犯罪の中でも特に大きく報道された。

死亡したのは中学1年生の男子生徒で、上級生3人と同級生4人が補導された。
7人には有罪に相当する保護処分が下り、民事訴訟では少年7人に5760万円の支払いが命じられたが、2015年の段階で任意の支払いに応じた元生徒はいなかった。

1月31日|ローマ日本人女子大生6人強姦事件はマスコミによる被害者バッシングが加熱

livedoorニュースから引用

ローマ日本人女子大生6人強姦事件とは、私立短大の主催で研修ツアーに参加した女子大生6人が、イタリアで強姦被害に遭った事件

被害者女性らは、在日経験があるスペイン男性からスペイン広場で声をかけられ自宅へ招かれたが、「静かにしなければ窓から落とす」と脅され、5人が強姦被害にあった。
解放後に警察に被害届を出した女性たちであったが、日本の週刊誌などでは「多人数なので抵抗すれば防げた」など女性に批判的な声が多くあがった。

マスコミらによる被害者バッシングが加熱した典型的な事件として、有名な事件となった。

12月14日|日野OL不倫放火殺人事件発生では幼児2人が犠牲に

シェアチューブより引用

日野OL不倫放火殺人事件とは、不倫をしていた女性が、不倫相手男性の幼児2人に放火し殺害したという痛ましい事件である。

不倫していた女性は男性の部下であり、男性宅のカギを使用し、就寝中であった6歳長女と1歳長男にガソリンをかけて放火し殺害、居宅を全焼させた。

女性は男性から「妻と別れる」と言われ不倫関係を継続し、男性の子を身籠ったが男性の指示に従い2度堕胎していた。
不倫が発覚し関係は終了したが、男性の妻から激しく叱責を受けた上「2回堕胎した」ことを嘲笑されたことから精神が不安定となり、男性とその妻・家族に対する憎悪を募らせていた。

裁判では女性に無期懲役が下った。
一方で夫妻の間には事件後1男1女が誕生している。

1993年(平成5年)のスポーツ

1月27日|大相撲の曙が横綱昇進


大相撲の曙が、外国人力士として初となる横綱昇進を果たした。

大学時代までは出身地であるハワイでバスケットボールをしていたが、コーチとの対立により大学を中退、その後2mを超す体格を見込んだ東関親方に勧誘され、相撲界に入門した。

1990年3月場所で新入幕した曙は、1992年5月場所で幕内初優勝を果たして大関に昇進する。
その後は1992年の7月場所を足指の骨折により全休するも、同年の11月場所、翌年1月場所での2連続優勝により横綱昇進を果たした。
横綱昇進伝達式では「横綱の地位をけがさぬよう稽古に精進します」と述べた。

かねてから抱えていた両膝の怪我が悪化したことを理由に2001年に引退し、キックボクシングを習得、K-1などに参戦するも1勝9敗の成績で、プロレスラーに転向している。

5月15日|Jリーグが開幕


今や日本サッカーを楽しむうえで欠かせないJリーグ(日本プロサッカーリーグ)が開幕したのがこの年である。

1991年に参戦する10クラブが決まると、1992年には前哨戦となる10クラブによるカップ戦が開催されるなど、以前から着実に準備が進んでいた。

記念すべき開幕試合は、横浜マリノス対ヴェルディ川崎の、神奈川県を本拠地に置くチーム同士の対決だった。
当時は1シーズンを2つのステージに分け、各ステージの優勝者で年間王者を決める2ステージ制で、初の年間王者はヴェルディ川崎だった。

その後社会現象になるほどの盛り上がりを見せたJリーグは、「サポーター」が流行語になるなど商業的成功をおさめる。
人気海外選手も参戦するようになり、今や世界中から注目を集めている。

10月28日|ドーハの悲劇が起こる


ドーハの悲劇とは、サッカー日本代表が対イラク戦で、ロスタイムの失点によりW杯出場を逃した出来事である。
この試合がカタールの首都・ドーハで行われたことから、このような呼び名となっている。

最終戦を残した4戦終了時点でグループ首位だった日本は、ワールドカップ出場圏の2位以内が有力だった。
初のワールドカップ出場に、日本代表だけでなく国民が胸を躍らせていたのだ。

イラクとの最終戦は日本が優勢で進み、ロスタイム突入時点で2-1とリードしていた。
しかし、ロスタイム突入直後にイラクのコーナーキックから放った相手のヘディングシュートは、無情にもゴールに吸い込まれた。

まさに天国から地獄、他会場の試合結果により3位に転落した日本の選手は試合後にうなだれ、号泣する者もいた。

この時NHKで解説をしていた岡田武史は、1998年フランスワールドカップにて日本代表を率い、見事ワールドカップ初出場を果たすことになる。

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