2007年(平成19年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では2007年(平成19年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

目次

2007年(平成19年)の主要ニュース

1月21日|宮崎県知事選挙でタレントのそのまんま東が初当選⇒宮崎県のPRや鳥インフルエンザの対応で功績を残す


そのまんま東(東国原英夫)はビートたけしの付き人であり、のちにたけし軍団の一員となったが、2007年に宮崎県知事へ出馬に伴い芸能事務所を退所、初当選した。

宮崎県知事選挙では、過去にフライデー襲撃事件、事務所の後輩の側頭部を蹴ったことにより書類送検、イメージクラブで少女に性的なサービスを受けたとして事情聴取されるなどの経歴があることから、選挙では厳しい状況となることが予想された

しかしタレントによる応援を一切行わず宮崎に関する政策を訴え続け、保守陣営の分裂という好条件も加わり、得票率45%を得て宮崎県知事に当選した。

知事就任後はワイドショーなどで盛んにとりあげられ、宮崎のPR活動を積極的に行った。
また宮崎県で鳥インフルエンザが発生すると、県内の食の安全性を訴え風評被害対策を行った。

県議会で行われた所信表明演説で発した「宮崎をどげんかせんといかん」という言葉は当年の流行語大賞となった。

そのまんま東(東国原英夫)は、2011年1月20日に任期満了に伴い退任、同年東京都知事選挙へ出馬するが石原慎太郎に敗れ落選。
2012年に日本維新の会から衆議院議員選挙へ出馬し当選、2013年に「日本維新の会の理念が変容している」として議員辞職している。

1月27日|柳沢伯夫厚生労働大臣が「女性は産む機械」発言⇒賛否両論へ


島根県松江市で行われた自民党県議会会議において、柳沢厚生労働大臣(当時は)は少子化対策について「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言した。

女性を機会に例えた発言に対して、野党側は追求し、マスコミも批判を行った。
しかし発言前には「機械って言っちゃ申し訳ないけど」と前置きしていたことや、あくまで人口統計上の話をわかりやすくするためであったと釈明を行ったことから、「女性は産む機械」という発言だけが切り取られているとして、著名人から野党やマスコミに対する非難の声もあがった

2月16日|社会保険庁の年金記録に不備が多いこと等が発覚⇒「ねんきん特別便」発行やマイナンバー制度の導入へ


2007年当時、年金の管理に関しては行政ごとに個人の年金記録番号が異なっていたため、社会保険庁がオンラインに入力したデータに多数の不備があることが明らかとなった。
この問題は年金記録問題として国民から非難を受け、与野党が逆転した45回衆議院総選挙の原動力ともなった。

社会保険庁は番号統一のため、基礎年金番号へ過去記録の統合を進めようとした。
しかしコンピューターに記録があるが基礎年金番号へ統合されていない5,000万件が存在し、「宙に浮いた年金記録」と呼ばれた。
また納めたはずの国民年金が社会保険庁のデータに記録されていない「消えた年金問題」も発覚し国民の怒りを買った。

この問題を解消するため政府は「ねんきん特別便」を国民へ発行、国民一人一人に年金の照合を行い、年に1回「ねんきん定期便」が発行されることとなった。

また年金問題を起点として、国民1人に対して1つの個人番号を割り当てるマイナンバー制度が2016年から導入されている。

5月10日|熊本市の慈恵病院が、赤ちゃんポストの運用を開始⇒10年で125人が利用


熊本市の慈恵病院が赤ちゃんポストの運用を開始した。
赤ちゃんポストとは、諸般の事情により育てることができない新生児を匿名で預かるためのシステムであり、日本ではじめての赤ちゃんポストが熊本市の慈恵病院で運用されることとなった。

赤ちゃんポストの目的は赤ちゃんの命を守ることであり、大人が赤ちゃんを殺害・遺棄してしまわないためのシステムである。
赤ちゃんを預ける親は匿名で施設を利用することができ、後から親であることを名乗り出ることも可能である。

赤ちゃんの命を守るための優れたシステムであるという評価がある一方で、こどもの出自を知る権利が守られない、道徳などの問題から様々な意見が存在している
運用開始10年で125人の利用が確認されている。

7月10日|牛ミンチ偽装事件を引き起こしたミートホープが自己破産


ミートホープとは北海道苫小牧に本社があった食品加工卸売会社であったが、牛肉ミンチ偽装事件により信用が失墜し倒産した。

創業者の田中稔が1976年に創業したミートホープは、最盛期に北海道の業界でNO1の売上実績を誇った。
しかし田中は廃棄肉や家畜の内蔵などの安い部位や添加物を配合したり、牛肉コロッケに豚肉や鶏肉を混ぜるて販売するなどの不正なコストダウンを行っていた。

2007年になり同社の常務である赤羽喜六が内部告発を行う。
NHKは北海道新聞、農林水産省などは告発を無視したが、朝日新聞社が調査を開始し、食品偽装事件が公になった。

添加物の配合以外もクレーム品のラベルを貼りかえて再出荷、ブラジル産の鶏肉を国産と偽装して納入、サルモネラ菌が検出されたソーセージを小中学生向けの給食へ納入するなどの不正を働いていたことが発覚している。

田中稔には懲役4年の実刑判決が下され牛ミンチ偽装事件によりミートホープは倒産しているが、内部告発を行った赤羽も取材攻勢に合い、うつ病を患うなどのダメージを受けた。

7月16日|新潟県中越沖地震発生


新潟県中越地震とは新潟県中越地方を震源とした大地震でマグニチュード6.8を記録、当時としては史上二度目の最大震度7を観測し、死者15人・負傷者2346人を出した。

また本震後も震度6の地震が3回発生し、電気・ガス・水道や携帯電話の基地局が破壊されるなど、人々の生活に大きな影響を与えた。

7月29日|参議院議員選挙で連立与党敗北、自民党37議席・民主党60議席となり民主党が第一党となった


2007年7月29日に参議院議員選挙が行われ、改選数121に対して自民党は37議席、民主党は60議席を獲得し自民党が大敗を喫した選挙となった。

自民党が敗北した理由としては、年金の記録不備が多数あったこと(年金問題)や、郵政問題で離党処分となっていた政治家が自民党へ復党したこと(郵政造反組復党問題)、農林水産大臣・松岡利勝が献金問題や事務所費問題を抱え自殺したことで、安倍内閣の支持率が低下していたことがあげられる。

1955年に自民党が結党して以来、参議院第1党を他の党に譲ったことは初めての事であった。

この参議院敗北を受け、安倍首相に対する退陣圧力が高まるが内閣改造に着手するなど継続する意思を見せた(後に体調悪化により退陣)。

9月12日|安倍晋三首相が突然辞任を表明⇒福田内閣発足


9月12日、安倍首相が突然の辞意を表明した。

7月29日の参議院選挙での大敗を受けて、安倍首相に対する退陣圧力が高まるとともに安倍首相自身の健康問題が表面化する。

首相続投の意思を示し内閣改造に取り組んだ安倍首相であったが、8月5日の広島平和記念式典から胃や腸の痛み、食欲の衰え、下痢などの症状が出始め、症状は悪化の一途を辿る。
安倍首相は9月9日のAPECの行事に参加できない状況となり晩餐会前の演奏会を欠席するに至った。

安倍首相の病名は潰瘍性大腸炎であり、9月12日に安倍首相は内閣総理大臣辞職を記者会見で発表、翌日に慶應義塾大学病院へ入院している。
9月26日には自民党総裁選挙へ福田康夫と麻生太郎が立候補し、福田康夫が当選、9月26日に福田内閣が発足した。

安倍首相の突然の辞任にはマスコミ・国民から非難が殺到し、海外メディアからも驚きが報じられ、批判の声があがった。

2007年(平成19年)の文化・芸能ニュース

1月20日|フジテレビ系「発掘!あるある大事典」で、納豆ダイエットのデータに偽造発覚⇒番組は打ち切り


『発掘!あるある大事典』とは1996~2004年までにフジテレビ系列局で放送されていた、生活情報・バラエティー番組であったが、2007年に納豆によるダイエット効果についての放送に捏造されたデータが使用されていたことが発覚し、番組は打ち切り終了となった。

2007年1月7日に放送された番組では、納豆にダイエット効果があるといった内容が放送され、番組終了後に全国各地のスーパーから納豆が無くなるほどの大きな反響があった。

しかしこれを疑問に思った週刊朝日が放送を検証した結果、不自然な点がいくつも見られた。
週刊朝日は関西テレビに対し質問状を送ったところ、放送で使用された血液データなどが実際には測定されていないものであったことなどが発覚した。
1月21日には関西テレビが謝罪を行ったが、スポンサーの花王が降板するなどしたため番組の継続が困難となり打ち切りとなった。

2月17日|藤原紀香と陣内智則が結婚⇒わずか2年で離婚


陣内智則は1974年生まれのお笑いタレントで、2003年にTV番組『エンタの神様』に出演しブレイク、全国規模の人気お笑いタレントとしての地位を確立した。
藤原紀香は日本のタレントであり、1999年に『J-PHONE』のCMでブレイクし、2007年にはマクロミルが集計した「注目している女性タレント」では6位を獲得していた。

二人は日本テレビ系ドラマ『59番目のプロポーズ』で出会い、陣内が藤原に手紙を渡したことで交際がスタートし、2006年11月に結婚が報道されるようになった。
二人は2007年2月に挙式を行い4月に入籍をした

藤原紀香は日本でも有数の美女として活躍しており、お笑いタレントの陣内智則が藤原と結婚したことは大きな話題となった。

しかし2009年に陣内智則の浮気が各メディアで報じられる。
2009年3月23日に離婚届けが提出され、翌日に陣内智則の記者会見が行われた。
記者会見では2008年夏ごろに複数の女性を相手とした浮気がバレし、謝罪をしたが藤原に受け入れてもらえなかったことを公表した。
離婚後は陣内に対するバッシングが相次ぎ、一時陣内の仕事がなくなる事態となったが、その後は復帰しお笑い番組などで活躍をしている。

陣内はフジテレビアナウンサーの松村未央と2017年に再婚、藤原も2016年に歌舞伎役者の片岡愛之助と再婚している。

2月25日|第79回アカデミー賞で最優秀助演女優賞候補の菊地凛子が選ばれ話題に

シネマカフェより引用

菊地凛子は1981年生まれの女優であり、2006年に映画『バベル』で聾唖(ろうあ)の女子高生を演じるとその演技が評価され、第79回アカデミー賞の最優秀助演女優賞の候補に選出された。

日本人の俳優でアカデミー賞を受賞した人物はいなかったため菊地の受賞には大きな期待が寄せられたが、残念ながら受賞には至らなかった。
しかし菊地はナショナル・ボード・オブ・レビュー新人賞とゴッサム賞新人女優賞などの賞を受賞し、その演技力は高く評価された。

私生活では2015年に俳優の染谷将太と結婚し、2019年に第2子の出産を発表している。

3月26日|加護亜依が二度目の喫煙をスクープされ、芸能事務所を解雇

東スポwebより引用

加護亜依はアイドルグループ『モーニング娘。』の元メンバーであり、人気の高いタレントであったが、2006年『フライデー』にレストランで喫煙しているところを写真付きで掲載された。
加護は当時19歳であり、未成年者喫煙法に抵触したため謹慎処分となった。

加えて翌年3月26日には『週刊現代』で人気カフェ店のオーナーと一泊旅行の上、再度喫煙していたことを報道され、事務所であるアップフロントエージェンシーは加護亜依との契約解除・懲戒解雇を発表し、事実上の芸能活動停止状態となった。

翌2008年に加護は芸能活動を再開、『さんまのまんま』でTVに復帰した。

しかし2011年には交際相手の44歳の男性が恐喝未遂で逮捕され、同年9月11日に加護は自殺未遂を図り救急搬送されてしまう。
命に別条がなかった加護は同年12月21日に交際相手男性と結婚し、2012年に女児を出産しているが、2015年には夫が加護亜依への傷害容疑で逮捕され離婚が成立している。

加護は2016年になり会社経営者と再婚、2017年に男児を出産している。

5月27日|歌手の坂井泉水が死去

https://www.youtube.com/watch?v=gqBj2x-eTwo

坂井泉水は女性歌手であり、「負けないで」など9作品でミリオンセラーを達成した90年代を代表するアーテイストである。

坂井は2006年に子宮頸がんが発見されたため摘出手術を受けて退院したが、翌2007年癌が肺へ転移していることが発覚した。
抗がん剤治療のため坂井は2007年4月より再入院したが、5月26日に慶應義塾大学病院内の高さ3mのスロープより転落し、倒れているところを発見された。
坂井は緊急処置を受けたが、翌日に後頭部強打による脳挫傷のため死去した。

坂井泉水の死は事故死か自殺だったのかが今でも議論となるが、遺書などは残されていなかったため事故による死であったとされている。

6月17日|辻希美と杉浦太陽が結婚


杉浦太陽は1981年生まれの俳優で、2001年の『ウルトラマンコスモス』で主演を務めた。
辻希美は『モーニング娘。』のメンバーであり、紅白歌合戦にも6年連続出場するなど人気のアイドルであった。

知人を介して辻から杉浦への猛烈なアタックが実り、2007年に結婚した。
二人の間には4人の子供が生まれ、辻はママタレとして活躍を続けている。

6月30日|羽賀研二が詐欺罪・恐喝未遂で逮捕、未公開株を高値で売りつける


羽賀研二は『笑っていいとも!』で初代青年隊に起用されるなど、俳優や歌手として活躍していた。
1994年から梅宮アンナとの交際や巨額の借金を抱えるなどしていたことから、ワイドショーに連日追いかけまわされる日々が続いていたが、羽賀研二が2007年に逮捕される

羽賀は2007年に知人の不動産会社社長に未公開株を売却する契約を交わし3億7千万円を受け取ったが、実際には株の価値は1/3程度しかなかったため羽賀は2億数千万円の利益を得ていたことになる。
返済を求める不動産会社社長に対し、羽賀は大阪府天王寺のマンションで元ボクシング世界チャンピオンの渡辺二郎と暴力団幹部らを使い、賠償請求権を放棄する署名をするよう脅迫した。

羽賀らは恐喝未遂罪で逮捕・起訴され、さらに羽賀は詐欺罪で追起訴された。
裁判では羽賀に対し懲役6年の実刑判決が言い渡され沖縄の刑務所で服役中であったが、2019年に出所している。

9月29日|「クローズドノート」の舞台挨拶で沢尻エリカが不機嫌に対応⇒大バッシングに発展


沢尻エリカは1986年生まれの女優で、2005年の映画『パッチギ』では演技が高く評価され多くの映画賞・新人賞を受賞した。
しかし2007年に映画『クローズド・ノート』の舞台あいさつで、インタビューの質疑にあからさまに不機嫌な態度で対応する姿が放送されると、大きなバッシングが沸き起こった

沢尻エリカが撮影中に差し入れたとされるクッキーについて質問されると、沢尻は「別に」と怒った表情で切り返すなど、その高飛車な様子は「エリカ様」と揶揄された。

この件に関して沢尻は公式HPで謝罪を行い、10月3日にはTVのインタビューに答える形で謝罪を行った。
しかし2010年には事務所に謝罪を強要されたことを告白、結局何が原因で不機嫌になったのかはわからずじまいである。

2007年(平成19年)のスポーツ

5月20日|ゴルフ男子国内ツアーで高校1年生のアマチュア石川遼が優勝


石川遼は「ハニカミ王子」の愛称で人気を博し、少年期から数々の偉業を成し遂げた日本のプロゴルファーである。

小学生時代から全国的な活躍をあげていた石川だが、高校1年次に臨んだゴルフ男子国内ツアー(マンシングウェアオープン KSBカップ)でアマチュアながら優勝を果たす

これは、日本プロゴルフ会の史上最年少(当時15歳8ヵ月)記録となった。
それまでの日本男子ツアーの最年少記録はセベ・バレステロスの20歳7ヵ月、女子を含めても宮里藍の18歳3ヶ月だったため、石川はこれまでの記録を大幅に更新した。

石川は2008年1月10日にはプロ転向を発表し、16歳3ヶ月24日の史上最年少JGTOツアープロとなる。
その後も、史上最年少での賞金王記録ツアー通算10勝など、次々と最年少記録を打ち立てた。

6月26日|大相撲・時津風部屋所属の17歳が暴行を受け死去(時津風部屋力士暴行死事件)


時津風部屋力士暴行死事件は、大相撲・時津風部屋に所属していた時太山(当時17歳)が、暴行を受けて死亡した事件である。
新弟子リンチ死事件と言われることもある。

暴行の原因は、時太山が稽古や人間関係の厳しさを理由に脱走したことに対し、15代時津風が腹を立てたためとされている。
時津風は、脱走した時太山の額をビール瓶で殴打したうえに兄弟子達に暴行を指示、亡くなる当日には過度なぶつかり稽古のあとに、再び集団暴行をしていた。

兄弟子3人と時津風親方には有罪判決が下り、15代時津風には最も重い懲役6年の実刑判決が言い渡されている。

なお、親方が不在となった時津風部屋だが、時津海正博が急遽現役を引退して16代時津風を後任している。

8月1日|ひじの骨折のため巡業を休んだ朝青龍が、モンゴルでサッカーに参加したことが発覚

NAVERまとめより引用

大相撲横綱の朝青龍が、夏巡業を休場中にモンゴルでサッカーをしていたことが発覚した。
休場にあたって医師の診断書が提出されていたが、仮病だったのではないかと物議を醸した。

サッカーはチャリティーイベントによるものであり、元日本代表の中田英寿も参加していた。

サッカーへの参加により、朝青龍は日本相撲協会から2場所の出場停止などの処分を受けることとなる。
横綱に対する出場停止処分は史上初であった。

朝青龍はこれらの処分を受け止め、治療に専念したうえで復帰場所に備える旨のコメントをしている。
なお、朝青龍の参加はモンゴル大使館の依頼によるものであり、モンゴル政府は自分達にも非がある旨を述べている。

10月11日|ボクシング、内藤大助-亀田大毅戦⇒大きな遺恨を残す試合となる


ボクシングWBC世界フライ級王者の内藤大助と亀田大毅の一戦が行われた。

内藤にとってはこれが初の王者防衛戦、亀田にとってはデビューからわずか1年半での世界初挑戦だった。
加えて、当時亀田家はボクシング界でひときわ注目を集めていた存在であり、メディアや国民の注目度は高かった。

試合結果は、亀田大毅の反則により内藤大助が大きなポイント差をつけて判定で圧勝する。
亀田はこの試合前から内藤に過激な挑発をしており、12Rでは内藤を抱え上げて投げ捨てるという暴挙に出たことで、世間から猛バッシングを受けることとなった。

さらに、父・史郎がセコンドから反則技を促すような指示をしていたことも問題となり、亀田家へのバッシングは加速する。
この試合により、亀田大毅は1年間のライセンス停止、セコンドの亀田四郎に対してもセコンドライセンス無期限停止処分が下った。

内藤大助は4度目の防衛線で亀田大毅の兄である亀田興毅と対戦、序盤に鼻を骨折したことにより判定で敗れ王座を陥落している。

11月1日|日本シリーズで中日が日本ハムファイターズを4勝1敗で破り53年ぶり2回目の日本一。


日本シリーズで中日ドラゴンズが日本ハムファイターズを4勝1敗で破り、日本一を成し遂げた。
中日が優勝するのは53年ぶりの出来事であり、設立したばかりの楽天を除けば、当時既存チームで最も長い間優勝していなかったチームである。

優勝を決めた第5試合目は1-0の、手に汗握る投手戦であった。

53年ぶりの優勝もさることながら、日本シリーズ史上初の1人の走者も出さない完全試合を達成したことでも記憶に残る優勝となった。
この時の完全試合は、先発・山井大介と9回に交代で入った岩瀬仁紀の継投によるものである。

なお、8回まで完璧なピッチングを見せていた山井を9回に交代する、という落合監督の采配は賛否両論を呼んだ。
落合監督は山井を交代した理由について、のちに発行した著書内で、山井が指のマメを潰して出血していたため日本一を獲るために最善の策をとったと述べている。

2007年(平成19年)の主要事件

3月26日|リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件発生


リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件とは、英会話学校講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんが市橋達也に殺害された事件のことである。
リンゼイさんを殺害した市橋達也は2年半に渡り逃走し、自らの手で整形を行ったり無人島で生活するなどしていたことが逮捕後明らかとなり、話題となった。

市橋達也は英会話学校NOVAで知り合った外国人講師のリンゼイ・アン・ホーカーさんと個人契約を結び、自宅マンションで被害者を押し倒し暴行を加えた上監禁していた。
しかし被害者が逃亡しようとしたため頸部を圧迫し、窒息死させてしまう。

被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた警察は、市橋達也のマンションを訪れるが、警察のスキを突いて市橋達也は逃亡する。
逃亡中は人相を変えるため、鼻翼を左右から縫い縮める、ほくろをカッターで切り落とす、下唇をハサミで切るなどの自己整形を行った
市橋は北関東・青森・大阪・四国などを移動するが、指名手配された写真を見て沖縄での無人島での生活を考え始める。

その後市橋は無人島である沖縄オーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返していたが、2009年の11月10日、沖縄行きのフェリーの乗客に市橋に似た男性がいることをフェリーの従業員が発見する。
市橋は大阪港フェリーターミナルに先回りしていた警察官にに逮捕され、2012年4月25日に無期懲役の刑が確定している。

7月3日|滝川高校いじめ自殺事件発生


滝川高校いじめ自殺事件とは、兵庫県の滝川高校で高校3年生の男子生徒がいじめが原因で自殺した事件のことである。
学校側がいじめの事実を認めなかったことや、学校裏サイトを利用したいじめがあったことで注目された。

死亡した男子生徒は5時間目の授業中に「トイレへ行く」として教室を出て、飛び降り自殺をした。
学校側は自殺後の聞き取り調査で金銭の要求や使い走りの強要などがあった事実を把握したものの、いじめではないと判断した。

しかし9月になり同級生の少年が恐喝容疑で逮捕されると、学校は態度を一変しいじめの事実を認め、学校裏サイトで、自殺した男子学生が誹謗中傷を受けていたことを明らかとした。
裏サイトでは被害者少年の裸の画像や住所・電話番号などが掲載されたいた。

恐喝容疑で逮捕された少年の他に3人が逮捕され、逮捕された計4名に対し神戸地検は少年院送致が相当とする意見書を付けた。
また滝川高校の学校長は2008年3月に引責辞任している。

11月16日|徳島刑務所暴動事件が発生

NAVERまとめより引用

徳島刑務所暴動事件とは、徳島刑務所第二向上で発生した囚人による暴動事件である。
刑務所の医務課長が受刑者へ虐待を行っていたことが発覚し、問題となった。

徳島刑務所の医務課長は囚人の肛門に対する虐待を日常的に行っており、診察では必要もないのにズボンとパンツを脱ぐよう指示し、肛門に指を入れるなどしていた。
また暴動が起こる前月には他の刑務所から刑務官がやってきて、囚人に対し暴行を加えていた。

これらの行為を週刊現代がかぎつけると、刑務所側は事実隠蔽のため受刑者を独居房に隔離し大阪刑務所へ移送しようとしたが、それに気づいた受刑者は刑務官らに対して暴動を起こす。
この暴動事件を契機として、テレビ・新聞などは徳島刑務所の問題を報道が行われる。

医務課長は医療業務から外れ、2008年に高松強制管区へ異動となった。
受刑者やその親族らは医務課長と徳島刑務所長らを刑事告訴したが、徳島地方検察庁は医務課長などを不起訴処分としている

12月14日|ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件発生


ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件とは、長崎県佐世保市のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で37歳の男性が散弾銃を発砲し、2名が死亡、6名が負傷した事件である。
また事件から12時間後、男は所持していた散弾銃で自殺している。

12月14日、スポーツクラブへ入店した犯人の男性は、プールへ直行し女性インストラクターの至近距離から散弾銃を発砲した。
さらに犯行を制止しようとした男性にも発砲し、女性インストラクターと男性の2名を殺害、スポーツクラブ内にいた他の6名が被弾し重軽傷を負った。
警察が男を捜索していたが、翌日の午前5時44分に教会から発砲音が聞こえたため敷地内を捜索したところ、教会で男が血を流して倒れているのを発見した。

犯人は死亡したため動機は不明な点が多いが、女性インストラクターに一方的に好意を寄せていたため犯行に及んだ考えられている。
また死亡した男性は犯人の友人であった。
犯人の男性は他の複数の友人もプールが見下ろせる3階に呼ばれており、犯人の男性は女性インストラクター殺害を友人ために見せるためにスポーツクラブへ呼び出し、死亡した友人は事件に巻き込まれたものと考えられている。

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