2001年(平成13年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では2001年(平成13年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

目次

2001年の主要ニュース

3月11日|外務省機密費流用事件で外務省の松尾克俊が逮捕

現代ビジネスより引用

外務省職員であった松尾克俊が2001年1月、業務上横領容疑で告発され懲戒免職となり、同年3月に詐欺罪で逮捕された。

松尾克俊は1993年から1999年にかけて外務省の要人外国訪問支援室長に在任していた際、10億円近い官房機密費を受領しており、このうち約7億円を詐取していた。
7億円は競走馬・女性・高級マンションなどに浪費されていた。

2002年3月に懲役7年6ヵ月の判決を受けた松尾は、自宅マンションを売却するなどして約2億7000万円を国に返還した。
また、松尾が室長を務めていた要人外国訪問支援室は1990年に松尾の提案で新設されたものだったが、2001年1月31日をもって廃止されている。

この事件は後に、ジャーナリストの清武英利によるノンフィクション小説『石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの』で描かれており、2017年にはWOWOWでテレビドラマ化された。

4月26日|森喜朗がえひめ丸事故発生時のゴルフプレー問題などで支持率を下げ退陣⇒小泉内閣が発足

小渕恵三が脳梗塞を発症したため、急遽首相となった森喜朗が内閣支持率の低下を受けて辞任を表明した。

森喜朗は「日本は天皇を中心とした神の国」などの相次ぐ失言のため、マスコミからのバッシングを受け支持率は低空飛行を続けていた。
加えてハワイのオアフ島沖で発生したえひめ丸事故発生を知りながら、1時間半にわたりゴルフをプレーしていたことが報道されると、マスコミに問いただされた際に「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大。
マスコミや国民にバッシングを受け内閣支持率は10%を切るようになる。

7月に行われる参議院選挙を森喜朗首相では戦えないとの声が自民党内から上がり、森首相は4月6日に退陣を表明した。

森内閣の退陣を受けて内閣総理大臣に就任したのが小泉純一郎であった。
自民党総裁選挙では「自民党をぶっ壊す」など過激なスローガンを掲げて圧勝した小泉純一郎は、87代内閣総理大臣に指名され、特殊法人や郵政事業の民営化など官から民への「構造改革」を推し進めることとなる。

6月8日|大阪教育大附属池田小児童殺傷事件が発生


2001年6月8日、大阪教育大附属池田小学校に侵入した男が児童8名(1年生1名、2年生7名)を殺害され、児童13名・教諭2名を負傷させる事件が発生した。
犯人は凶器の出刃包丁で学校内の児童を次々と襲撃し、校長や教諭らにその場で取り押さえられた。

犯人の男は取り調べで「エリートでインテリの子をたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」と供述し、精神鑑定では「責任能力を減免するような精神障害はない」として責任能力が認められた。
2003年8月に大阪地裁から死刑判決を言い渡され、弁護人が行った控訴を犯人自らが取り下げたため死刑が確定し、2004年9月に大阪拘置所で死刑が執行された。

この事件後、学校や幼稚園などの教育関連施設にも「警察官立寄所」のプレートやシールが貼りつけられたり、監視カメラの設置や部外者の立ち入りを禁じる傾向が強まった。
それまでは「地域に開かれた施設」であった学校が、安全対策重視の「閉ざされた施設」に方針転換されるきっかけとなった

またこの事件で死亡した2年生7名は2006年に、1年生1名は2007年に、特別に卒業証書を授与されている。

8月13日|小泉首相が靖国神社を参拝


2001年8月13日、当時の首相であった小泉純一郎が靖国神社を参拝し、中国や韓国が激しく反発した。

小泉純一郎は年に1回の靖国神社参拝を公約していたが、中国政府や韓国政府は、第二次世界大戦のA級戦犯が合祀されている靖国神社を首相が参拝することを問題視した。

靖国神社参拝を続ける小泉に対して中国政府は4年にわたって日中間首脳の相互訪問を拒み続け、特に反日デモが起こった2005年の秋に小泉が5度目の靖国神社参拝を果たすと、中国政府は国際会議を利用して日中首脳会談・外相会談をすべて拒否するという強硬姿勢を示した。

退任後も小泉と中国との間には亀裂が生じており、人民日報は小泉の後を受けて首相となった安倍晋三が訪中を決断したことを絶賛する一方で、日中関係を悪化させた小泉を激しく非難した。
また、2008年の北京オリンピックでは歴代首相の福田康夫、森喜朗、安倍晋三が開会式に招待されたのに対し、小泉は招待されなかった。

9月1日|新宿区歌舞伎町ビルで火災発生、44名が死亡⇒消防法が改正される


9月1日未明、東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」で火災が発生し、、44名が死亡し、3名が負傷した。
火災の被害者数としては戦後5番目という大惨事になった。

自動火災報知設備の電源が切られていたことや、火災報知機を内装材で覆い隠してしまっていたことが明らかになっており、酒瓶やモップなどで階段が塞がれていたうえ、防火扉も作動する状態ではなかったことなどが被害拡大の原因であると言われている。
ビルオーナーら5名は防火管理の怠慢により、2008年に執行猶予付きの有罪判決を受けている。

現場の状況や出火時刻ごろに不審な人物の目撃証言があったことなどから、出火原因は放火の可能性が高いとされているが、2020年現在でも明らかになっていない

またこの火災が契機となり2002年10月25日に消防法が大幅に改正され、ビルのオーナーなどの管理権原者はより重大な法的責任を負うこととなった。

9月11日|日本国内初の狂牛病 (BSE) 感染牛が確認される


9月11日、農林水産省は国内で初めてBSEの疑いがある牛が発見されたと発表した。
BSEとは牛の脳の中に空洞ができ海綿状になる感染症で、病状が進むと立てなくなるなどの症状を引き起こすが、治療法は無いため殺処分される。
またBSEが人間に感染したという直接的な証明はされていない

国内でのBSE感染牛の確認により政府は10月から国産牛肉の買い取り事業を実施したが、買取事業を悪用した牛肉産地偽装事件が発生した。
雪印食品や日本ハムなど大手食品メーカーが起こした食品偽装事件は社会に大きな衝撃を与え、雪印グループは解体を余儀なくされた。

その後も、大阪の食肉卸売業者ハンナンが約50億にも及ぶ巨額の補助金詐欺事件を起こし、社長らが2004年に逮捕されるなど、相次ぐ企業犯罪は食の安全に対する国民の信頼を大きく損なう結果となった。

また日本でのBSE感染患者は1人も出なかったにも関わらず、マスコミが過熱報道を行った。
その結果、BSEが発生したと報道された畜産農家や牛の検査を担当しBSEを発見できなかった獣医師らが、自殺したことが問題視された。

生活に密着した観点からは吉野家が2004年から牛丼の販売を中止、全国で焼き肉屋の倒産が相次いた。
吉野家は2005年に安全な牛肉を仕入れ、1日だけ牛丼の販売を再開したところ、大きな行列ができ話題となった。

日本産の牛においては、2009年に北海道でBSEに感染した牛が発見されたのを最後にBSE感染牛は確認されていない。
騒動全体としてはBSE感染そのものより、マスコミの扇動および騒動に乗じた不正がBSE問題を大きなニュースとしたと言える。

9月11日|アメリカで同時多発テロ発生


2001年9月11日、アメリカで4機の旅客機がハイジャックされ、そのうち2機がニューヨーク世界貿易センタービルのノースタワーとサウスタワーに衝突した。
ノースタワーとサウスタワーはともに110階建てであったが、衝突から2時間を経たずに崩壊し、続いてワールドトレードセンター複合施設の崩壊を引き起こした。
他の旅客機2機のうち1機はペンタゴンへ墜落、もう1機は乗客によりハイジャック犯が阻止されたがペンシルバニア州へ墜落した。

アメリカ同時多発テロでは2,977名が死亡25,000名以上が負傷するという史上最悪のテロ事件となり、特に世界貿易センタービルへの衝突シーンの衝撃はメディアで繰り返し放送された。
日本でもアメリカ同時多発テロ事件は大きく取り上げられたが、あまりの規模のため情報が錯綜し、刻々と変化する状況に報道機関の対応が追い付かなかったことで誤報も見られた。

テロを実行したのはイスラーム過激派テロ組織のアルカイダで、指導者のウサーマ・ビン・ラーディンは当初関与を否定していたが、2004年には同時多発テロ事件への関与を認めた。
アメリカ合衆国はビン・ラーディンを10年間追跡し、2011年にアメリカ軍特殊部隊が殺害している。

またブッシュ政権はこの事件を契機としてアフガニスタン侵攻を行い、さらにイラクに対しては大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由にイラク戦争に踏み切った。

大きな被害を受けたワールドトレードセンター・コンプレックスの跡地は、遺族からは慰霊の場にしてほしいという意見もあったものの、経済復興の意味でもオフィスビルや商業施設などが再建されることとなり、祈念スペースを囲むように超高層ビルが建てられた。

10月10日|野依良治がノーベル化学賞受賞が決定


2001年、京都大学出身で名古屋大学大学院理学研究科教授の野依良治がノーベル化学賞を受賞した。
受賞理由は「キラル触媒による不斉反応の研究」であり、医薬品の製造に大きく寄与した。

有機化合物は組成が同じであっても、任意の炭素に結合する物質が全て異なる有機化合物は、2つの異なる活性を持った化合物が生成される。
どちから片方の化合物のみを意図的に生成することは困難だとされていたが、野依良治は金属を触媒として使用することにより、狙った化合物だけを生成することが可能となる研究を成功させたのである。

日本人のノーベル化学賞受賞としては1981年の福井謙一、2000年の白川英樹に続く3人目で、ノーベル賞受賞発表翌日の記者会見では読売新聞の科学部記者である野依の長男が代表質問を行った。
野依は文部省学術審議会委員や日本学術振興会学術顧問など公的活動にも従事しており、ノーベル賞受賞後の2006年には安倍内閣にて設置された政府の教育再生会議で座長に就任した。

2003年より理化学研究所にて理事長も務めたが、2015年にSTAP細胞に関わる不正論文事件への対応が求められる中、任期途中で退任、実質的な引責辞任を強いられた
その後野依は科学技術振興機構の研究開発戦略センター長に就任している。

12月1日|皇太子と皇太子妃の間に第一子となる女の子(愛子内親王)が誕生


2001年12月1日、皇太子と皇太子妃の間に愛子内親王が誕生した。
日本国内で愛子さまブームが沸き起こり、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人に達した。

12月2日に開かれた「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」では麻生太郎をはじめとする政治家や竹下景子、西田ひかるなどの芸能人、毛利衛、長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べた。

愛子さまの誕生は、日本に活気を与える一方で皇位継承問題の議論を呼び起こした。

1965年の秋篠宮文仁親王誕生以降、長期にわたって皇室に男子が誕生しなかったため、皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める皇室典範見直しの機運が高まっており、愛子内親王の誕生もこれを後押しした。
2005年から2006年にかけて女性天皇・女系天皇の可能性も検討されていたが、2006年9月6日に秋篠宮妃が悠仁親王を出産したことで皇室典範見直しの動きは止まった。

2001年の文化・芸能ニュース

2月21日|反町隆史と松嶋菜々子が結婚

芸能ニュース知っトク情報より引用

反町隆史は1973年生まれの俳優で、1997年から1998年の間に『バージンロード』『ビーチボーイズ』『GTO』など高視聴率を獲得したドラマに出演し、一躍人気俳優となった。

松嶋菜々子は1973年生まれの女優で、NHK連続テレビ小説『ひまわり』でヒロイン役を演じたことで、一流女優としての地位を確立した。
1998年の『GTO』で高視聴率を獲得、2000年のドラマ『やまとなでしこ』でも視聴率30%を超えるなど人気女優として活躍していた。

二人は1998年の『GTO』でそれぞれ主役とヒロイン役を演じたことで仲を深め、撮影終了1年後の1999年11月に交際がスタート、2001年に結婚を発表した。
結婚発表翌日には2人揃ってフジテレビのスタジオで会見を開いた。

当時2人は人気絶頂であり、大物夫婦の誕生に世間は賑わった

2004年5月31日、2007年11月30日にそれぞれ長女と次女が誕生している。

2001年のスポーツ

5月27日|大相撲で貴乃花が優勝


2001年5月場所で貴乃花が武蔵丸との優勝決定戦に勝利し、見事優勝を果たした。

初日からの13連勝で絶対的な強さを見せていた貴乃花だったが、14日目の武双山戦で右膝半月板損傷の大けがを負っていた。
実際に千秋楽結びの一番で貴乃花は武蔵丸に惨敗しており、続く優勝決定戦での貴乃花の勝利を予想していた者はほとんどいなかった。

しかし貴乃花は上手投げで武蔵丸を投げとばし、勝利後は鬼の形相を見せ観客を沸かせた。

表彰式では、小泉純一郎首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」と内閣総理大臣杯を渡した。
「痛みに耐える」というフレーズは小泉純一郎総理大臣が、総理大臣就任の所信表明演説で構造改革を行うためには「痛みに耐える」ことが必要と述べており、国民間でも知られた言葉であったため、国技館はさらなる盛り上がりを見せた。

7月16日|丸山茂樹が18年ぶり2人目(青木功以来)の米ツアー優勝

ゴルフダイジェスト・オンライン‐GDOより引用

男子ゴルフの丸山茂樹が、18年ぶり日本史上2人目となる米ツアー優勝を成し遂げた
1983年に青木功がハワイアンオープンを制して以来の快挙であった。

1992年にプロ入りした丸山だったが、米ツアーに本格参戦したのは2000年からである。
優勝を果たす前の第6戦では、タイガーウッズらと同順位の2位タイを記録するなど、初優勝前から好成績を残していた。

その後も勢いは衰えず、日本人選手としては初となる米ツアー3勝をあげている。

7月20日|世界水泳シンクロのデュエットで立花美哉・武田美保組が金メダル


世界水泳選手権のシンクロで、立花美哉と武田美保のデュエットが金メダルを獲得した。
シンクロ界で日本が金メダルを獲得したのは、これが史上初である。

性格もスタイルも正反対の2人であったが、それらが見事に絡み合い唯一無二の演技を魅せた。
前年2000年に行われたシドニーオリンピックでは、デュエットにおける日本初の銀メダルを獲得しており、多くの期待が寄せられる中での世界水泳優勝であった。

2004年のアテネオリンピックでは銀メダルを獲得し、2人ともその直後に現役を引退している。

9月30日|ベルリンマラソンで高橋尚子が世界最高記録で優勝


女子マラソンの高橋尚子が、ベルリンマラソンで世界新記録を樹立しての優勝を果たした。
この時の記録は2時間19分46秒であり、それまでの記録を1分近くも更新するものであった。

高橋は前年のシドニーオリンピック女子マラソンで五輪最高記録で優勝しており、国民栄誉賞も受賞していた。
その勢いのまま臨んだこのベルリンマラソンでは、見事金メダリストとしての貫禄を見せつけることとなった。

日本人女子マラソン選手が世界記録を更新したのは高橋が最初で最後である。(2020年現在)

なお、高橋は翌年のベルリンマラソンでも優勝し、見事連覇を達成している。

2001年の主要事件

2月10日|えひめ丸事故発生、宇和島水産高等学校の生徒4人と教員5人が死亡


えひめ丸事故とは、アメリカのハワイ・オワフ島沖で高校の練習船「えひめ丸」にアメリカ海軍の原子力潜水艦が衝突し沈没させた事故である。
教員5人と生徒4人が死亡し、時の森内閣退陣にも繋がる事件となった。

愛媛県立宇和島水産高校所属の漁業練習船「えひめ丸」がオアフ島冲で実習中、浮上してきたアメリカ海軍所属の原子力酢潜水艦「グリーンビル」と衝突した。
「えひめ丸」は5分程度で沈没し、船内に残された9名が犠牲となった。
潜水艦浮上以前から、ソナーにはえひめ丸の存在がうつっていたが、潜水艦内にいた民間人の対応などによりソナー確認ができていなかったことなどが原因とされている。
ブッシュ大統領は森首相へ電話で謝罪し、アメリカの責任を認めている。

事故発生時、森首相はゴルフ場でプレー中であったが、日本人が海に投げ出されたことを知りながらも1時間半プレーを続けたため、元々低かった森内閣支持率は低下し退陣へと繋がっていった。

4月30日|レッサーパンダ帽男殺人事件発生


レッサーパンダ帽男殺人事件とは、19歳の女子短大生がレッサーパンダを模した帽子を被った男に刺殺された事件である。

交差点で被害者の女子大生が加害者を見た時に驚いた表情を見せ、犯人のレッサーパンダ帽男は「馬鹿にされた」と思い込み犯行に及んだ。
犯人がレッサーパンダ帽を被っているという特異性からマスコミは事件を大きく取り上げたが、容疑者が知的障碍者と判明て以降、報道は沈静化した。

裁判では加害者の責任能力の有無が争われたが、責任能力が認められ無期懲役の刑が下されている。

5月8日|武富士弘前支店強盗殺人・放火事件発生


武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは、犯人が強盗目的で武富士弘前駅前支店に侵入し、ガソリンをまいて金銭を要求したが断られたため放火した事件である。
5人が死亡、4人が重傷を負った。

ギャンブルにより借金で苦しんでいた犯人は、カウンター越しに脅迫を行ったが、支店長が拒否をし110番通報した。
犯人が放火したところ、ガソリンがまかれた店内に火災が一気に広がり店舗はほぼ全焼した。

犯人は2014年8月29日に死刑が執行された。

7月24日|中国自動車道女子中学生手錠放置事件発生

シェアチューブより引用

中国自動車道中学生手錠放置事件とは、手錠をかけられた女子中学生が高速道路に放置され、後続トラックに轢かれて死亡した事件である。

手錠をかけた犯人は中学教師であり、ツーショットダイアルで知り合った中学生に手錠をかけ催涙スプレーを吹きかけた。
被害者は高速道路走行中に自ら後部座席のドアをあけ、車内から飛び降り逃走したが、後続のトラックに轢かれ死亡した。

被害者を高速道路へ放置した加害者は懲役6年の実刑判決、中学生を轢いたトラック運転手は自殺した。
被害者の家庭は、父親から虐待を受けるなど極めて家庭環境が悪く、生活保護を受給していた。

9月16日|御殿場事件発生


御殿場事件とは御殿場駅近くで起きた集団強姦未遂事件であるが、冤罪の可能性が高いことで有名な事件でもある。

当時15歳であった被害者少女は、帰宅が遅くなった理由を母親に問いただされ「強姦されかけた」と説明したことから、母親は被害届を警察署へ提出した。

少女は中学時代の同級生に無理矢理公園へ連行されたと主張したため、その少年らとその仲間らが逮捕された。
しかし事件には次のような不審な点が指摘されている。

  • 少年らは自白したが、のちに自白は強要されたものであるとして無罪を主張した。
  • 少女の帰宅が遅くなった理由は出会い系で知り合った男性とデートしていたこと
  • 被害届で被害にあった日付を途中で変更したこと
  • 被害にあった日は雨が降っていたが、少女がそれについて言及していないこと
  • 被害者少年らにアリバイがあること

主犯の4人は少年刑務所へ移送され服役したが、少年らは現在も無実を訴えており、マスメディアでも幾度となく取り上げられている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。