1982年(昭和57年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では1982年(昭和57年)に起きた芸能・文化・スポーツ・事件・事故などを紹介・解説しています。

1982年の主要ニュース

2月8日|ホテルニュージャパン火災発生


ホテルニュージャパン火災とは、東京都千代田区永田町にあった都市型多機能ホテル、ホテルニュージャパンで火災が発生し、死者33名、負傷者34名の大惨事なった事件

火災の原因は宿泊客の寝たばこであったが、経費削減によるスプリンクラーの設置不足や、過酷な労働環境による従業員の疲弊により被害が広がったとされている。

さらには電気代節約のために、24時間稼働させる必要がある全館加湿装置も止められ、火が広がりやすい乾燥状態になっていたのだ。

これらの不手際に加え、代表取締役社長である横井英樹は火災の責任をすべて寝たばこをした宿泊客に押しつけるような発言をし、非難が殺到。

その後東京都より営業停止処分を受け、まもなくしてホテルは廃業。
現在跡地はプレジデンシャル生命が購入しプレジデンシャルタワーとなり、オフィス・外国人向け高級賃貸として運営されている。
社長の横井英樹は禁錮3年の実刑判決を受け服役、1998年に虚血性心疾患のため死去した。

2月9日|日本航空350便墜落事故発生


日本航空350便墜落事故とは、日本航空のダグラス DC-8-61型機が羽田空港沖に墜落し、24名が死亡した事故である。

飛行機の設備不良は無く、当日は晴天で視界も良好。
この航空事故を引き起こしたのは、機長の心神喪失だった。

機長は以前より精神分裂症(現:統合失調症)を発症しており、業務を遂行できる状態ではなかったが、日本航空がこれを見逃して業務させ続けていたのである。

これらの精神異常により機長はエンジンを逆噴射させ、機体は低下。
結果としてこのような大惨事を引き起こしてしまった。

「日航逆噴射事故」とも呼ばれるこの事故をきっかけに、航空機の乗務員の健康を向上させるための医療機関、財団法人航空医学研究センター(現:一般財団法人 航空医学研究センター)が設立された。

事故の原因となった「逆噴射」は1982年の流行語ともなっています。

6月22日|IBMスパイ産業事件で6名が逮捕

NPO法人インテリジェンス研究所より引用

IBMスパイ産業事件は、日立製作所や三菱電機の社員計6人が、米IBMの機密情報を入手したとして、スパイ行為で逮捕された事件である。

FBIによるおとり捜査が行われたこの事件。機密情報を入手するシーンがビデオテープに収められ、逮捕に繋がった。

IBMと日立の民事訴訟は翌1983年に和解。IBMと富士通との紛争は長引いたが、1988年に和解に達した。

7月|九州地方北部で集中豪雨が発生


1982年の7月、九州地方北部で集中豪雨、そして豪雨に伴う大水害が発生した。
長崎を中心とした地域に発生したことから、「長崎大水害」とも言われている。

この年は梅雨入りが遅く、九州地方で梅雨に入ったのは、例年より8日ほど遅い6月13日であった。
7月上旬までは少雨が続いていたが、梅雨が終わりに近づくと大雨が集中。

特に長崎県では、23日の夕方頃から100㎜ほどの猛烈な豪雨が続いた。大雨が夜間だったことも重なり、避難も間に合わず冠水や停電により生活は完全にストップ。
さらには土砂崩れなどによる自然災害も発生し、死者・行方不明者299名・負傷者805名と大きな被害を生んだ。

10月12日|鈴木善幸首相が退陣を表明

⇒⇒詳細は鈴木善幸内閣のまとめを参照お願いします

11月27日|第一次中曽根内閣発足

⇒⇒詳細は中曽根内閣のまとめを参照お願いします

1982年の文化・芸能ニュース

2月26日|桑田佳祐・原由子が結婚

人生は冒険だ!!とり引用

人気バンド、サザンオールスターズのボーカルを務めている桑田佳祐と、同じくキーボードを務めている原由子が結婚した。

2人が出会い、交際を始めたのはデビュー前の青山学院大学時代。
「勝手にシンドバッド」でのデビュー後は、多忙によりすれ違いもあったが、そんな苦難も2人で乗り越え、めでたくゴールインしたのだ。

ちなみに、桑田佳祐がプロポーズした数日後に、ちょうどこの時期にできた「いとしのエリー」を電話口で歌ったそう。

4月6日|山下達郎・竹内まりやが結婚

デイリースポーツより引用

山下達郎、竹内まりやの人気アーティスト2人が4月6日に結婚した。

お互いのレコーディング等を通して関わる機会が増えたことで惹かれ合い、1980年頃から同棲を始めていた2人。
同じ事務所である、RVCの先輩・後輩関係にあたるビッグミュージシャン同士の結婚となった。

1984年には長女も誕生している。

5月1日|中森明菜が「スローモーション」でレコードデビュー


1980年代のスーパーアイドルとして絶大な人気を誇った中森明菜が、この日「スローモーション」でレコードデビューを果たした。

当時、アイドルにはキャッチフレーズが付けられる風潮があったが、彼女のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘ミルキーっこ」。

そんな中森明菜のデビューシングル「スローモーション」は、初登場58位であった。
その後の活躍を考えれば意外なほど売れていないが、2thシングルの「少女A」を皮切りにヒット曲を連発。

「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE -情熱-」といった数々の大ヒット曲を生みだし、アイドル出身アーティストとして唯一無二の存在となる。

1982年の主な事件

4月20日|八王子市歯科医師フッ化水素誤塗布事故

フッ化水素

naverまとめより引用

八王子市歯科医師フッ化水素誤塗布事故とは、八王子市の歯科で歯科治療用フッ化ナトリウムと間違い、毒物のフッ化水素酸を女児に塗布したことにより、女児が死亡した事故のことである。

歯科医師の助手である妻が歯科材料会社にフッ化ナトリウムを注文する際「フッ素」と言ったところ、毒物であるフッ化水素酸が納品された。
フッ化水素酸は納品時に受領印が必要であることや、従来納品されていた瓶とは異なる容器であったが、妻・医師ともに疑問には思わず、中身をフッ化ナトリウムの瓶に移し替えた。

虫歯予防のため歯科を訪れた女児は、フッ化ナトリウムの瓶に入れられたフッ素を塗布されたため口の周りがただれ、救急搬送されたが死亡した。

業務上過失致死罪により、禁固1年執行猶予4年の有罪判決がくだり、民事では3850万円の慰謝料を支払うことで示談が成立した。

5月27日|藤沢母娘ら5人殺害事件

藤沢母子

naverまとめより引用

藤沢市母娘ら5人殺害事件とは、1981-1982年にかけ男女5人が相次いで殺害された事件のことである。

加害者男性は、交際を拒否していた女子高生とその家族計3人を刃物で刺殺、その前後に金銭トラブルとなっていた元少年院仲間2人を同じく刺殺した。

被害者の女子高生を学校の前でナンパし、デートを行うなどしていたが、女子高生およびその家族から関係を断つように言われたことに対し逆上し、殺害に及んだ。

犯人は中学卒後から職を転々とし、窃盗を繰り返すなどして少年院に送られていた。

犯人は2007年に死刑が執行されている。

1982年(昭和57年)に起こったスポーツ界の出来事

2月28日|岡本綾子がアメリカLPGAツアーで初優勝

ミドルエッジより引用

岡本綾子が、日本ゴルフにおける女子選手として初めてアメリカLPGAツアーで優勝を果たした

前年の1981年に、日本女子選手として初めて本格的な海外進出を果たした彼女。

世界最高峰の女子プロゴルフツアーとも言われるこの大会で、海外進出2年目で優勝するという快挙を成し遂げた。

その後は1992年までに計17大会で優勝。

彼女の世界的な活躍は、日本女子プロゴルフ界の基盤を築いたと言われている。

3月28日|中央競馬でサルノキング事件発生


サルノキング事件は、中央競馬の中山競馬場で開催された重賞競走・第31回スプリングステークスにおいて、八百長疑惑が沸き起こった事件である。

このレースの1番人気はサルノキング、2番人気はハギノカムイオー。そんな事前の予想を裏切り、レース結果はハギノカムイオーの圧勝。
サルノキングはレース序盤から後方につけ、ラストで追い上げを見せるが、骨折の影響もあってか4着だった。

しかし、当時ハギノカムイオーを共有していた中村和夫は、サルノキングを共有する馬主でもあり、ハギノカムイオーに皐月賞の出走権を確保させるためにわざとサルノキングを負けさせたという疑念が巻き起こったのだ。

八百長の真相は明らかにならなかったが、サルノキング骨折のレントゲン写真公表が予定時間よりも3時間遅れたことで、さらに世の疑念を深いものにしてしまった。

3月11日|ボクシングの毒入りオレンジ事件が報道される

まとめいくより引用

毒入りオレンジ事件とは、協栄ボクシングジム会長の金平正紀が、所属選手の対戦相手に毒入りのオレンジジュース飲ませたとされる事件

遡るは前年1981年の6月。協栄ジム所属の渡嘉敷勝男が世界3位の金龍鉉に10R判定勝ち。
当時ほぼ無名だった渡嘉敷の勝利に、世間は大きな盛り上がりを見せた。

しかし、翌年にはこの勝利に対して疑惑報道が起こる。

金平正紀が毒入りのオレンジジュースを対戦相手・金龍鉉のマネージャーに渡し、試しに食したマネージャーが吐き気と下痢に襲われたのだ。
金龍鉉は実際にオレンジジュースを食していないが、相手側はこれに猛抗議。

さらに一連の疑惑の矛先は、同事務所所属のスター選手であった具志堅用高にまでおよび、「WBA世界ライトフライ級王者」「13回の連続防衛」といった彼の栄光まで曇らせることとなってしまった。

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