2000年(平成12年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では2000年(平成12年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

目次

2000年(平成11年)の主要ニュース

3月31日|有珠山が噴火


有珠山は北海道の洞爺湖に位置する活火山であったが、西暦2000年、1977年に噴火して以来23年ぶりの噴火が起こった。

火山性地震の分析などにより、3月29日には気象庁から緊急火山情報が出され、近隣の市では噴火前に避難を済ませていた。
なお噴火前に緊急火山情報が出されたのは初の事態であった。

噴火の被害としては2つの橋が破壊されたことや、火山に近い地域での家屋の破壊などがあげられる。
また2000年は7月8日に三宅島、9月4日には駒ケ岳と、噴火が相次いただ年となった。

4月2日|小渕首相が脳梗塞で緊急入院するが、5月14日に死去


自由民主党の小渕恵三が脳梗塞のため、緊急入院した。

1998年7月30日より、参議院選挙の敗北を受け退陣した橋下龍太郎内閣の後を継ぎ発足したのが小渕恵三内閣であった。
相次ぐ金融機関の倒産を受けて金融再生関連法案や、国家国旗法などを成立させた。

また1999年には「ブッチホン」が流行語大賞となるなど、国民目線での政治を目指していた。

しかし2000年4月2日に脳梗塞を発症する。
前日4月1日には自由との連立解消に対するインタビューに、10秒ほど答えられないなど不自然な挙動が見られており、脳梗塞がこの時すでに発症していたものと考えられている。

4月5日に昏睡状態となった小渕恵三に代わり、森喜朗が内閣総理大臣に指名された。
小渕恵三は昏睡状態から回復すること無く、5月14日に死去している。

5月1日|第一火災海上保険が経営破綻

アエラドットより引用

第一火災海上保険は、預かり資産を元手に高度経済成長期からバブル経済まで大きく業績を伸ばすことに成功した、損害保険相互会社である。

掛け金が全額戻ってくる保険商品を販売し高い人気を誇ったが、バブル崩壊とともに目標としていた運用を行う事が出来ず資金繰りが悪化した。
事業提携を行っていた日本生命も、役員や管理職など第一火災へ派遣していた有能な人材を引き上げさせ、事実上の提携解除となった。

1999年に金融監督庁の監査で財務基盤の危うさを指摘され、業務改善計画の提出を求められた。

2000年に入るとさらに経営状況は悪化し、5月1日に金融監督庁に自主経営再建断念を伝え、日本の損害保険会社としては初の経営破綻となった。

5月24日|ストーカー規制法公布


2000年にストーカー規制法が公布された。

ストーカー規制法以前は、ストーカー行為を脅迫罪等で立件していたが、軽犯罪法違反程度でしか取り締まることができなかった。
しかし1999年に起きた「桶川ストーカー殺人事件」をきっかけにストーカー問題の深刻さがメディア等で啓発されるようになり、ストーカーに対する法的な処分の必要が世間に認識された。

また2012年には「逗子ストーカー殺人事件」受け、電子メールの連続送信がつきまとい行為となったことや、被害者住所の警察だけでなく加害者住所の警察も犯人に対する禁止命令を出すことができる、などの変更点が加えられた。

また2016年の「小金井ストーカー殺人事件」を受けさらに法改正され、SNS等でのメッセージ連続送信もつきまとい行為と認定され、罰則が強化さるなどの変更がなされた。

6月29日|雪印集団食中毒事件発覚、被害者14,780人


雪印集団食中毒事件とは、雪印乳業の低脂肪牛乳を飲んだ14780人が食中毒の被害者となった、戦後最大の食中毒事件のことである。

2000年3月31日、北海道の雪印乳業工場で3時間の停電が発生したため、工場タンク内にあった脱脂乳は20度以上になったまま4時間が経過していた。
しかし工場の製造課長は問題になることを恐れ、殺菌装置で黄色ブドウ球菌を死滅させて脱脂粉乳を製造したが、黄色ブドウ球菌から発生した毒素は残ったままであった
製造された脱脂粉乳は大阪工場で「雪印低脂肪乳」などの製造に使用され、関西地方で販売された。

6月25日以降、雪印低脂肪乳を摂取した消費者から相次いで大阪市保健所に通報が相次いだ。
保健所は大阪工場に立ち入り検査を行い、商品の自主回収と事態の公表を指導したが、雪印は製品の回収を開始するのみで公表を行わなかったため、危機感を抱いた大阪市保健所が記者発表を行った。

その後被害は関西全体に広がり、最終的に14,780人もの消費者が食中毒の被害を被ることとなった。

また雪印の行き当たりばったりの対応には非難が集中し、7月4日には社長の石川は「黄色人種には牛乳を飲んで具合が悪くなる人間が一定数いる」など説明を行い、記者会見の延長を求める記者に対して「そんなこと言ったねぇ、わたしは寝てないんだよ」と発言し大きな非難を浴びた。

この事件で雪印ブランドは失墜し、雪印グループは解体・再編を余儀なくされた。

7月6日|三菱リコール隠し事件発生

毎日新聞より引用

三菱リコール隠し事件とは、乗用車を扱う三菱自動車工業およびトラック・バスを扱う三菱ふそうが、大規模なリコールを隠蔽していたことが運輸省の監査で発覚した事件である。

三菱自動車および三菱ふそうは69万台にもおよぶ不具合情報を把握していたにも関わらず、運輸省へ報告せず隠蔽していた。
発覚は内部告発によるものであり、1977年からクレーム情報をレベルごとに仕分けし、運輸省による監査時に提示を行わないという組織的な隠蔽が行われており、内部告発では隠蔽されている資料の隠し場所などが詳細に記載されていた

三菱リコール隠し事件により三菱自動車工業は信頼を失い販売台数が激減、経営再建を余儀なくされる。

しかし2004年、2000年のリコール隠しを上回る74万台のリコール隠し事件が発覚し、三菱自動車工業は神奈川県警に法人として起訴され、元役員らも逮捕される事態となった
筆頭株主であるダイムラークライスラーは資本提携を打ち切り、倒産の危機に陥ったが、三菱UFJ銀行などのグループ会社の支援により危機は脱している。

7月12日|百貨店そごうが民事再生手続開始の申立てを行う


大手百貨店のそごうグループが経営破綻した。

そごうグループは、バブル経済で値上がった土地を担保に銀行から融資を引き出し、新しい店舗を出展する方法で平成4年にはデパートの売上高日本一を達成した。
しかし平成4年以降はバブル経済の崩壊とともに売り上げは激減、1兆7千億円の負債を抱える事態となった。

一時は6000億円の債務放棄が認められる方向で話が進んだが、その担保に税金が使われる可能性が報道された。
当時の森内閣が支持率低下に苦しんでいたという政治事情により債権放棄案は棄却され、そごうグループは民事再生を行うこととなった。

2020年現在、そごうはセブン&アイ・ホールディングス傘下である株式会社そごう・西武が運営する百貨店となっている

10月10日|筑波大学名誉教授の白川英樹がノーベル化学賞受賞


白川英樹がノーベル化学賞を受賞、その理由は「導電性高分子の発見と発展」である。
導電性高分子とは電気を通す高分子のことで、具体的には導電性ポリアセチレン、つまり電気を通すプラスチックを発見したことにより白川はノーベル賞を受賞したのである。

白河英樹は1936年に東京で生誕し東京工業大学理工学部を卒業、筑波大学の教授となった。
2000年3月に筑波大学を退官したが、同年10月にノーベル化学賞を受賞した。

なお、旧帝国大学出身者以外でノーベル賞を受賞したのは白川が初であった。

11月5日|東北旧石器文化研究所の副理事長が、旧石器発掘の捏造を行っていたことが発覚


旧石器ねつ造事件とは、考古学研究科の藤村新一が日本の前期・中期旧石器時代の発掘調査において、事前に自分で埋めた石器を掘り起こしていた捏造事件である。

事件が発覚したは毎日新聞のスクープによるものであった。
藤村が石器を事前に埋めている姿を毎日新聞が撮影し記事にしたのである。

旧石器捏造事件発覚により、旧石器時代に関する教科書の記述が改められ、さらには大学入試試験などにも影響が及ぶ前代未聞の不祥事となった。

藤村は前期旧石器時代の遺跡から次々と石器を発掘することから「神の手」と呼ばれていたが、発見が藤村に集中していたことから疑いの目が以前から向けられていた。
藤村に対しては福岡の考古学者が偽計業務妨害で告発を行ったが、仙台地方検察庁は証拠不十分で不起訴としている。

藤村は事件発覚後精神病院へ入院、翌年妻と離婚し、入院中に知り合った女性と再婚している。
2010年の取材では、捏造についての記憶を精神疾患により失っていると述べている。

11月28日|少年法改正案が成立

読売新聞より引用

2000年に初の少年法改正が行われた。

少年法改正のきっかけとなったのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件である。
神戸連続児童殺傷事件は、14歳の少年が男児の首を自分が通う中学の校門に放置するという前代未聞の猟奇事件であり、この事件をきっかけとして2000年の少年法改正では次のような改正が行われた。

  • 刑事処分可能な年齢が16歳から14歳に引き下げ
  • 16歳以上の少年が故意に被害者を死亡させた場合、成人と同じ刑事裁判を受ける

このように少年犯罪に対して厳罰化が進むこととなった。

少年法は2007年に、少年院送致の年齢下限を14歳から「おおむね12歳以上」へ引き下げ、2014年には有期懲役の上限が20年に引き上げられるなどさらなる厳罰化がすすんでいる。

2000年(平成11年)の文化・芸能ニュース

1月26日|サザンオールスターズ、「TSUNAMI」発売

夢番地日記より引用

「TSUNAMI」はサザンオールスターズの代表曲にして、当時シングルCD歴代売上1位を記録した作品である。

そんな日本の音楽史に残る作品が発売されたのが、2000年1月26日である。
『TSUNAMI』は発売2週目で早々と売上100万枚を超えると、7週目には200万枚を突破、2019年4月までの累計売上は293.6万枚(オリコン調べ)にものぼっている。

失恋の切なさを津波に例えたこの壮大なバラードは、幅広い年代の心を掴み、オリコンカラオケチャートでも2000年の年間1位を記録した。
サザンはこの曲で第42回日本レコード大賞を受賞している。

12月5日|SMAPメンバーの木村拓哉と工藤静香が結婚、当時妊娠4カ月


SMAPの木村拓哉と工藤静香のビッグカップルが12000年12月5日に誕生した。

木村拓哉はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ「SMAP」のメンバーだった男性で、1990年と2000年代を代表するアイドルである。
工藤静香はアイドルグループ「おニャン子クラブ」出身のアイドルでで、歌手としてもヒット曲を連発していた。

当時は2人とも非常に人気の高いタレントであったが、とくに木村拓哉は芸能界で最も人気が高かったと言えるほどカリスマ性を持ったタレントであったため、二人の結婚は大きく報道された。
木村が開いた会見では、「お相手は工藤静香さんですよね?」と記者からの質問に対し、木村は「それ以外誰がいるんですか?」と答えて話題になった。
また工藤静香が妊娠4カ月であることが公表された。

2人の間には2001年5月に長女、2003年2月に次女が誕生している。

2000年(平成11年)の主要事件

1月28日|新潟少女監禁事件発覚


新潟少女監禁事件とは、1990年11月に9歳の少女が誘拐され監禁された事件であり、少女は約9年後の2000年になり発見された。
監禁が9年にわたることや、新潟県警の不祥事が発覚し注目を集めた。

犯人は不潔恐怖症の持病を持つ誘拐当時28歳の男性であり、農道で少女を車に押し込み自宅へ誘拐した。
男性は母親に対する暴力を日常的に行っており、母親が2000年になり精神病院医師にそのことを訴えたところ、男を強制入院させることとなった。
しかし男性宅で医師および応援に来た警察が少女を発見し、監禁が発覚した。

母親は男性宅に入ることを禁じられていたこともあり少女の存在を知らず罪には問われなかった。
また少女は同日夜に母親と再会を果たした。

少女は男に殴打やスタンガンをあてられるなどし、恐怖心を植え付けられ逃げ出すことはできなかった。
また新潟県警は少女の発見時の虚偽報告、母親が相談した時の対応不備、保健所からの出勤要請を拒否するなど複数の点で不祥事が発覚し謝罪している。

男には懲役14年の刑が確定し、2020年現在は出所している。

5月1日|豊川市主婦殺人事件発生、犯人は17歳の高校生

「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!より引用

豊川市主婦殺人事件とは、当時17歳個高校3年生の少年が主婦を40か所以上刺し殺し、逃走した事件である。

高校では活発な生徒だったが人の死に異様な興味を示し、殺人体験を願望するようになる。取り調べでは「殺人の体験をしてみたかった」と述べた。
精神鑑定では「アスペルガー症候群」と診断され、アスペルガー症候群が世間に大きく認知されるきっかけとなる事件となった。

男子高校生は医療少年院へ送付された。

また2日後には同じく17歳の少年が西鉄バスジャック事件を起こしたため、2020年は17歳の犯罪が大きくクローズアップされた。

6月11日|宇都宮宝石店放火殺人事件発生


宇都宮宝石店放火殺人事件とは、犯人が1億4千万円相当の宝石を奪い店内に放火、全従業員6名を殺害した事件である。

多額の借金を背負った男は、現金で宝石を購入すると嘘をつき、ガソリンの入ったバッグを所持し宝石店へ来店した。
宝飾品を揃えるのに時間がかかるため、閉店後に取引を行うこととなり、従業員は系列店から商品を取り寄せ商談を開始した。

商談中に店長と店員らを一か所に集めると従業員を脅し、店長に他の店員の手足を縛らせた上で、全店員の両手両足をテープで縛り、休憩室に閉じ込めガソリンをかけ放火した。

火災は翌日鎮火され、炭化した6名の遺体が発見された。

犯人は2010年7月28日、死刑が執行された。

7月29日|山口母親殺害事件発生、16歳の少年が母親を殺害


山口母親殺害事件とは、16歳の少年が母親の頭を金属バットで殴り殺した事件のことである。
犯人は出所後の2005年に、大阪姉妹殺害事件を起こしている。

幼少から酒癖の悪い父親に暴力を振るわれていた少年は、小学5年生の時に父が他界し母親と二人暮らしであった。
母親には借金があり生活が苦しく、母親に再婚話があったことから仕事の同僚に対して「僕は邪魔者」と話していた。

事件当日、少年が交際を考えていた女性の携帯電話に母親が無言で電話を掛けたことがきっかけで口論となり、少年は母親を金属バットで滅多打ちにして殺害した。

少年は少年院に送られ、3年2か月で出所するが、2005年に大阪姉妹殺害事件を起こし死刑判決となり、2009年7月28日に刑が執行されている。

8月8日|仙台女児連続暴行事件の犯人が逮捕


仙台女児連続暴行事件とは、犯人の男が推定100人以上の女児に乱暴をしていた事件。

犯人は1997年ごろにはじめて犯行におよび、被害届が出ているだけでも60件以上に及んでいた。
また犯行の様子をビデオカメラにおさめており、撮影したビデオテープが男の住居から発見されている。

逮捕の様子はのちにテレビ番組で放映され、世間に広く知られる事件となる。

犯人には無期懲役刑が下されている。

8月14日|大分一家6人殺傷事件発生


大分一家6人殺傷事件とは、15歳の少年が隣家の家族を襲い、3人が死亡、1人が重体、1人が軽傷を負った事件

少年は隣家から「風呂をのぞいた」と疑いをかけられ、父親から注意を受けるとともに被害者宅から無視されるなどし恨みを募らせた。
被害者宅の風呂場から侵入した少年は、サバイバルナイフを使用して犯行を行い、三人を殺害した。

少年は医療少年院へ送致されたのち、特別少年院へ移送された。

12月30日|世田谷一家殺人事件発生


世田谷一家殺害事件とは、一家4人が何者かにより包丁や絞殺により殺害された事件であり、2020年現在は未解決事件となっている。

殺害されたのは会社員の父親・母親・8歳の長女と6歳の長男で、隣に住む実母が殺害された4人を発見した。
指紋や足跡を残していることや、子供までめった刺しにしている点、殺害後に被害者宅のアイスクリームを食べるなど異常性が指摘されている。

事件が起こった年末になると警視庁による情報公開が行われ、マスコミが話題にしているため、有名な事件となっている。

2000年(平成11年)のスポーツ

4月10日|橋本真也が小川直也と「橋本真也34歳、負けたら即引退試合」を行う


「橋本真也34歳、負けたら即引退試合」とは、プロレスラーの橋本真也が、自らの引退をかけて行った小川直也との試合のことである。

事のいきさつは、2人のこれまでの関係性にあった。
2人は1997年に初めて対戦(小川にとってのプロレスデビュー戦)して以降、4度にわたって対決(橋本の1勝3敗)しており、試合後の乱闘やリング外での舌戦もたびたび行われていた。

試合序盤こそジャンピングエルボー等で橋本が攻勢だったが、小川のSTO(大外刈りをアレンジした技)の前に終盤は防戦一方で敗れた。
引退を表明していた橋本だが、この年の8月には引退撤回し、新プロレス団体である「ZERO-ONE」を設立した。

9月23日|シドニーオリンピック開催


日本は金5、銀8、銅5を獲得

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