2011年(平成23年)の出来事やニュースを解説

ニュース・出来事・スポーツ

この記事では2011年(平成23年)のニュース・文化芸能・事件について解説しています。

目次

2011年(平成23年)の主要ニュース

3月11日|東日本大震災発生、死者1万5786名を出す大惨事となる


東日本大震災とは東日本を中心に発生した大規模な地震で、死者数は2万2000人にのぼり、明治以降では関東大震災・明治三陸地震に次ぐ規模となった。
東日本大震災は東北地方・関東地方の太平洋沿岸部に大きな損害を与え、都道府県別の死者は宮城県の9543人が最多で、岩手県4675人、福島県1614人となっている。

東日本大震災の最大の特徴は、犠牲者のほとんどが津波によるものであったという点である。
津波による溺死が死因の90%以上を占め、津波の中に含まれる砂を飲み窒息したもの、海岸沿いの重油などの有害物質を飲み込んで死亡したもの、3月の低気温状態で津波被害にあったため低体温で体力を奪われたものが多かったと推定されている。

また東京電力福島第一原子力発電所が被害に合い、原子炉を冷却できなくなったことにより、放射性物質の漏洩を伴う原子力事故に発展した。
国際原子力自称評価尺度において、福島第一原子力発事事故は最悪のレベル7に分類された。

津波により福島第一原子力発電所は全ての電源が機能しなくなり、核燃料の冷却を行うことができなった。
そのため核燃料を収納する管が溶け、核燃料ペレットが圧力容器の底に落ちるメルトダウンが発生するなどし、大量の放射性物質が原発外へ漏れ出した。

政府は福島第一原発の周囲を避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難した。
食品から放射性物質が検出され、海外では日本の食品に対し輸入を停止、2020年現在も日本の一部地域の食品に対して輸入を停止している。
また東京電力の住民に対する慰謝料や建物に対する賠償金は10兆円近くに達している。

こうした原子力発電所の事故は日本国民の反原発運動を招き、原子力発電所の稼働をめぐりデモが行われたりするなど、脱原発運動が活発化している。

5月11日|アメリカ軍により国際テロ組織「アルカーイダ」のテロリスト、ビン・ラーディンが殺害される


ビンラーディンはイスラム過激派テロリストで、国際テロ組織「アルカイーダ」を設立し、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者として連邦捜査局に指名手配されていた。

2011年5月2日、パキスタンに建設された3階建ての豪邸にビン・ラーディンが潜伏しているのを発見したアメリカは、海軍特殊部隊を中心にビン・ラーディンの殺害を遂行する。
アメリカ軍はビン・ラーディンが潜伏している邸宅へ、ヘリコプター2機とチヌーク2機に分乗した隊員がロープを使って降下し、ビン・ラーディン邸宅を急襲した。
邸宅では側近が応戦し40分の銃撃戦となったが邸宅は制圧され、ビン・ラーディンは頭部と胸部を打ち抜かれ死亡した。

ビン・ラーディンの死亡は全世界のメディアで報道され、多くの国では殺害を歓迎する声があがった。

8月|東日本大震災による原発停止により、電力供給不足による節電が課題に


2011年3月11日に発生した東日本大震災を原因として福島第一原発事故が発生したことで、全国の原子力発電所が安全検査のため停止した。
電力供給量が減少したことにより東京電力および東北電力管内では電力不足となり、政府は電力使用抑制を呼びかけ、被災していない地域から不足地域への電力供給を行った。

しかしそれでもピーク時の電力不足が予想されたため、東京電力の管内では時間帯と区域を区切り、計画停電が3月14日より実施された。

さらに夏季は冷房需要により年間で最も電力需要が多くなるため、再び電力供給不足となることが予想された。
政府は7月1日より、第一次石油危機の1974年以来となる電力使用制限令を発動した。
企業は電力使用制限令に対応するため、ポロシャツ・アロハなどの着用を許可し、運航列車の削減、エアコン温度の調整などの対策がとられ、夏場の電力危機は無事に回避された。
9月に入ると電力需要がピークアウトしたため、順次電力使用制限令は解除された。

また節電に対する呼びかけは人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場した作戦名「ヤシマ作戦」として広がり、話題となった。

9月2日|菅内閣が総辞職⇒野田佳彦が内閣総理大臣就任


2010年に鳩山由紀夫内閣を引き継ぎ内閣総理大臣となった菅直人内閣が、2011年8月30日に総辞職、9月2日に野田佳彦内閣が誕生した。

菅直人は2010年の参議院選挙惨敗後も首相を続投したが、2011年3月に発生した東日本大震災および福島第一原発事故への対応で支持率を低下させた。

また小沢一郎の資金管理団体「陸山会」をめぐる事件で小沢が刑事訴訟の対象となり、小沢一郎への処遇問題で党内対立が深まった
このため民主党内から「菅おろし」の声があがり、菅直人は震災後の補正予算などを成立させた後に内閣総理大臣を辞職した。

10月22日|円高、1ドル75円78銭と史上最高値⇒日銀の介入観測で円高一服


2011年3月17日、円が戦後最高値を更新し一時76円25銭まで円高が進んだ
円高になった理由は東日本大震災である。

東日本大震災で被災者に支払う保険金は、円で支払う必要があるが、保険会社は保険金を外貨で運用しているため外貨を売り円を買う行動を行うことが予想された。
その行動を先読みした投機筋が、円を買いすすめたため、過度の円高に振れたものと見られている。

その後円は日銀の介入の観測などがあり、円高は一服している。
またアベノミクスや日銀の金融緩和政策により2015年には1ドル120円まで円安が進行している。

11月11日|野田首相、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加を表明


2011年11月11日、民主党の野田佳彦首相がTPP交渉参加を正式表明した

TPPとは環太平洋パートナーシップ協定の略称で、環太平洋地域における経済の自由化を目的とした経済連携協定のことである。

協定の主な内容は農産物では約80%の品目で関税が撤廃され、工業製品に至っては99.9%の関税が撤廃されるものである。

TPPへの参加は、規模の大きい貿易圏が誕生することや、消費者にとっては輸入品を安く購入できるなどメリットなどがある。
一方で外国産の安い製品、とくに農作物に関しては激しい競争に晒されることが予想され、食料自給率の低下が危惧されている。

日本を含む12カ国は2016年2月にニュージーランドでTPPの署名式を行っている。
2018年12月30日にTPPは発効され、品目により段階的な関税の引き下げが行われている。

11月27日|維新の会、大阪府知事・市長ダブル選で圧勝


2011年11月27日、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙が行われ、大阪維新の会の候補二人が圧勝した。
大阪府知事となったのは大阪維新の会の松井一郎、大阪市長となったのは同じく大阪維新の会の橋下徹であった。

大阪府知事であった橋下徹は、大阪市長選挙へ鞍替え出馬するために任期を3か月残したまま府知事を辞職し、大阪府知事選・大阪市長選のダブル選挙に挑んだ。
大阪維新の会は知事選・市長選にあたりマニフェストを発表し、それには大阪都構想が含まれていた。

大阪都構想は大阪市を廃止し、特別区に分割、広域な役割を果たす財源・行政は大阪府が担いそれ以外はの権限を特別区に付与するというもので、現在の東京都が行っている制度を模倣したものである。
ダブル選挙は大阪都構想を掲げる大阪維新の会とそれに反対する政党による、「維新対反維新」という対立構造となった。

選挙は大きな注目を集め、大阪知事選は投票率52.88%、大阪市長選挙は1971年以来40年ぶりに60%を超える投票率60.92%となった。

その後、都構想は2015年と2020年に住民投票が行われたが、僅差で否決されている。

12月17日|北朝鮮の金正日書記長が死去


12月19日、北朝鮮メディアが「特別放送」を流し、北朝鮮の金正日書記長の死亡を伝えた

金正日は、朝鮮民主主義人民共和国の第二代最高指導者であり北朝鮮を建国した金日成の長男で、1994年の父の死を受け北朝鮮の実質的な最高指導者となっていた。

金正日書記長は2000年に韓国の金大中大統領と平壌で南北共同宣言を発表、イタリア、イギリス、カナダなどと国交を樹立した。
一方でアメリカは2011年のアメリカ同時多発テロの際に、イラン・イラクと並んで北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで避難し、2国間で緊張感が高まった。
2002年には日本の小泉首相と日朝首脳会談を行い、日本人の拉致を認め謝罪した。
2006年にはミサイル発射を契機に国連安保理で北朝鮮に対する非難決議が採択され、アメリカTIME誌で金正日は世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長と揶揄された。

北朝鮮の国営メディアは、金正日が2011年12月17日午前8時半、急性心筋梗塞のため平壌郊外へ向かう列車で死亡したと伝え、三男の金正恩が最高指導者の地位を引き継ぐことを訴えた。

2011年(平成23年)の芸能ニュース

4月21日|元キャンディーズの田中好子が乳がんのため死去


田中好子は1956年生まれのアイドルで、1972年に結成された「キャンディーズ」のメンバーであったが、2011年4月21日乳がんのため息を引き取った

田中好子はアイドル活動だけではなく、1989年に公開された『黒い雨』で日本アカデミー賞などの主演女優賞を受賞し、演技派女優としても活躍した。
また1983年の大ヒット連続テレビ小説『おしん』で養女役を演じ高視聴率の一因を担った。

1992年に乳がんに罹患した田中は、がんを公表することなく治療を受けていた。
しかし2010年に十二指腸潰瘍の治療のため絶食を行って以来、乳がんが急激に進行、2011年4月21日に55歳で死去した。

余命を知った田中は、お別れの言葉を録音しており葬儀では音声が流された。

5月12日|上原美優が自殺


タレントの上原美優が24歳の若さで他界、死因は首つり自殺であった

上原美優は1987年生まれのグラビアアイドルで、10人兄弟の末っ子として誕生し貧乏アイドルとしてテレビ番組などに多数出演していた。
しかし20歳の時に睡眠薬を服用し自殺未遂を行うなどメンタルが不安定であり、2010年3月に母親が65歳で他界すると精神的に不安定な状態となっていた。

2011年5月11日に交際中の一般男性と過ごしていた上原は、「2時間ほど一人にしてほしい」と男性を外に出した。
上原はその間にドアにスカーフとベルトをかけ、首をつり、翌日病院で死亡が確認された。

上原の手帳には母が他界して辛いことや、今のスタイルで仕事を続けていくことに対する不安が書かれていた。

6月23日|加藤茶と加藤綾菜が結婚


6月23日、加藤茶が45歳差年下の女性と結婚を報告し話題となった

加藤茶は1943年生まれのコメディアンで、1970年から1980年代にかけ絶大な人気を誇ったコントグループ『ザ・ドリフターズ』のメンバーである。

加藤茶の結婚報告で、世間を最も騒がせたのはその年齢差であった。
当時68歳の加藤茶は23歳の女性、加藤彩菜と結婚したため、年齢差は45歳差となった。

二人の出会いは、加藤彩名が働く料理店へ通っていた加藤茶が、加藤彩菜に電話番号を渡したことがきっかけであった。
結婚当初は年齢差から「金目当ての結婚」など誹謗中傷が相次いだが、加藤彩名は介護関係の資格を取得するなどし、加藤茶を長年支え続けている。

8月23日|島田紳助、芸能界を引退


島田紳助は1956年生まれのお笑いタレント・司会者であり1977 年に「紳助・竜介」を結成、漫才ブームに乗り全国区に名前が知られるようになる。
またフジテレビ系列の人気番組であった『オレたちひょうきん族』にも出演し、その後も人気番組の司会者として活躍していた。

しかし2011年8月23日、島田紳助は暴力団関係者との交際を理由に引退を表明した。

引退の発端となったのは、1998年に島田紳助が司会を務める「紳助の人間マンダラ」での発言がもとであった。
右翼団体を揶揄する発言が放送されたことで、右翼団体から関西テレビに対し街宣・抗議がかけられるようになった。

困窮した紳助は元プロボクサーの渡辺二郎を介して山口組系会長の橋本弘文に働きかけ、抗議を収束させた。
しかし、それ以来紳助と橋本の交流が始まる。

その後、紳助が橋本へ送った手紙や写真が暴力団関係者への家宅捜索の際に発見され、警察から吉本興業に連絡が入り、紳助の黒い交際が表面化する。
島田紳助は暴力団とのやりとりを認め、引退を決意した。

芸能界引退の記者会見後も島田紳助の復帰は幾度となくささやかれるが、本人は芸能界復帰は否定しつづけており、引退後メディアへの露出は皆無に等しい。

10月5日|アップル創業者のスティーブ・ジョブズが胃がんに伴う呼吸困難で死去


スティーブジョブズはアメリカ・アップル社の共同設立者の1人であり、実業家だった男性である。

1976年にアップルコンピュータ・カンパニーを設立したジョブズは1977年発売の「Apple Ⅱ」で成功をおさめ、1980年に株式公開し、2億5千万ドルの個人資産を得る。
その後はマッキントッシュの開発を主導し、成功を収めるが1985年にマッキントッシュの販売不振を理由に解任され職を失う。

しかしジョブズは1996年にアップル社へ復帰すると、リストラの推進やマイクロソフトとの提携等により業績を向上させた。
1998年にはiMacの発売や2000年のiTunesおよびiPodの発売により業績を向上させることに成功する。
2007年には初代iPhoneを発売し、携帯電話事業に旋風を巻き起こした。

ジョブズは2003年に膵臓がんと診断されるが、進行が穏やかであったため手術を受ければ完治するはずであった。
しかし東洋文化に傾倒していたジョブズは手術を行わずハーブ治療などを行ったため、9ヶ月後の検査では癌が大きくなっており、摘出手術を行った。

2008年にiPhone 3Gの発表で姿を公に見せたジョブズはやせ細っており、健康問題が取りざたされるようになる。
この時ジョブズは肝臓へ癌が転移しており、深刻な状態であった。
病状の進行により、2011年にCEOを退任したジョブズであったが、その時アップル社の時価総額は世界最大となっていた。

2011年10月5日、ジョブズは膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により56歳という若さで自宅で死去した。

世界中の業界関係者から、ジョブズの死を惜しむ声が相次いた。
マッキントッシュやiPhoneの開発は、ジョブズがいなければこの世に誕生していなかったと言われており、ハイテク業界にジョブズは大きな功績を残した人物の1人と考えられている。

11月8日|内柴事件が報道される


内柴事件とは、九州看護福祉大学女子柔道部コーチの内柴正人が、9月19日から20日にかけ教え子である当時19歳の女子柔道部員に酒を飲ませ、意識のない状態になったところをホテルで性行為に及んだ事件である。
内柴正人は2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪で金メダルを獲得していたが、事件により全日本柔道連盟から追放処分を受けた。

現役引退後の2010年4月から九州看護福祉大学の客員教授に就任した内柴であったが、2011年11月8日に女子部員に対するセクハラ疑惑が報じられた。
大学側の調査でセクハラ行為が認められ懲戒解雇処分となった内柴は、12月6日に準強姦容疑で逮捕された。
内柴は容疑を否認したが2013年の2月1日に懲役5年の実刑判決がくだった。

裁判では内柴が19歳の女子柔道部員以外にも、事件当日に女子柔道部員2人と性行為を行っていたことや、大学の師範室にアダルトグッズなどが置かれており、教え子と常習的に性行為を行っていた疑いがあることが明らかになっている

2017年9月に内柴は仮釈放され、柔術家としてデビューしている。

2011年(平成23年)のスポーツ

2月2日|大相撲八百長問題が発覚


大相撲八百長問題は、多数の現役力士による取組での八百長関与が発覚した事件である。
力士たちの勝ち負けや取組内容に対して金銭のやり取りがあったことで、大きな問題となった。

2011年2月2日、前年に発生した大相撲野球賭博問題で警視庁が押収した力士の携帯電話から、13名の八百長への関与が発覚した。
芋づる式に事件へ関与した者が明らかとなり、2011年の春場所は開催中止となったが、不祥事による中止は史上初の出来事であった。

春場所中止決定の翌日から力士らへの聞き取り調査が開始され、最終的には2名の力士が解雇、58名の力士が事件に関与したことで引退した(自主引退含む)。
また21名の親方にも退職勧告や降格・昇格停止などの処分がなされた。

大相撲八百長問題は国会でも取り上げられ、また国外でもニュースとなるなど日本の国技での不祥事が大きな注目を浴びることとなった。

7月17日|女子サッカー・ワールドカップでなでしこジャパンが優勝


女子サッカー日本代表・通称なでしこジャパンが、ドイツで開催された6回目の女子ワールドカップである、2011FIFA女子ワールドカップで優勝を果たした
サッカーで日本が世界一になったのは男女通じて初めてのことであり、その快挙は日本で大きく報道された。

日本代表はグループリーグを2位で通過すると、決勝トーナメント初戦では優勝候補のドイツ相手に延長戦の末、丸山桂里奈のゴールで1-0で競り勝つ。
準決勝の相手はスウェーデンで、前半10分に1点を失った日本であったが、川澄奈穂美の2ゴールと澤穂希のゴールで突き放し、3-1で勝利し史上初の決勝へ駒を進めた。
決勝の相手はFIFAランキング1位のアメリカだったが、延長2-2で突入したPK戦でアメリカが3回連続PKをはずし、3-1で優勝を決めた。

ドイツとアメリカへの勝利も日本女子サッカー史上初であり、組織立ったパスサッカーで優勝候補を打ち破って優勝したことは、世界中に衝撃を与えた。
なでしこジャパンはフェアプレー賞を獲得し、キャプテンの澤穂希は大会MVPと得点王を獲得している。

2011年(平成23年)の主要事件

1月8日|大阪元資産家姉妹孤独死事件発覚


大阪元資産家姉妹孤独死事件とは、大阪府豊中市のマンションで元資産家の姉妹(63歳、61歳)がやせ細った姿で死亡しているのが発見された事件である。

姉妹は元資産家の娘であり、父親は地方銀行の重役で姉妹の住むマンションン近辺に多数の土地を所有していた。
夫妻の死後、姉妹は土地・建物などの資産を相続し運用するが失敗し、税金・保険料を滞納し、多額の負債を抱えた。

二人が住むマンションも2010年4月に差し押さえられ、やがて電気やガスも止められた
裁判所管理物件となったため、2週間に1回裁判所の担当者がマンションを訪れ、自己破産や生活保護申請を勧めたが姉妹は拒否していた。

姉妹は2011年1月8日に警察官に発見され、死亡したのは2010年12月22日頃であると推定されている。
裁判所執行官は12月7日に姉妹からの応答がない旨を豊中市へ報告していたが、担当者がマンションを訪問することはなかった

豊中市は2011年1月に記者会見を開き、部内で事件の検証を行うことを表明した。

4月21日|ユッケ集団食中毒事件が起こり、5名が死亡


ユッケ集団食中毒事件とは、「焼肉酒家えびす」でユッケを食べた客117人がO-111による食中毒となり5人が死亡、24人が重症となった事件である。
「焼肉酒家えびす」を経営する株式会社フーズ・フォーラスは事件により経営が悪化、会社は解散している。

「焼肉酒屋えびす」は全国各地に出店していたが各店舗で食中毒者が発生したため、「焼肉酒家えびす」で大腸菌が発生したものではないと推定された。
えびすが肉を仕入れていた「大和屋商店」および大和屋商店の仕入れ先である食肉市場に家宅捜索が入ったが、菌は検出されなかった

この事件の後、多くの焼肉店などでユッケの提供が自粛されることとなり、2011年には生食用牛肉の処理に関する基準が改定された。
また、えびす社長の勘坂康弘が土下座会見を開くなど話題になった。

勘坂康弘社長および大和屋商店の役員らは書類送検されているが、富山地方検察庁は2人について嫌疑不十分のため不起訴処分としている。

7月|オリンパス事件発覚

日本経済新聞より引用

オリンパス事件とは、オリンパス株式会社が巨額の損失を10年以上にわたり隠し続け、負債を粉飾決算で処理した事件である。

2011年4月にオリンパス社長に就任したイギリス人経営者マイケル・ウッドフォードは、オリンパスが不透明なM&A(企業買収・合併)を行っているとして、会長と副会長の引責辞任を促した。
しかし直後の取締役会でウッドフォード社長は職を解任される。

ウッドフォードは解任までの経緯を公表したことにより、翌日オリンパスの株価は急落する。
ウッドフォードの内部暴露により事態の収拾がつかなくなったオリンパスは、バブル崩壊時の巨額損失を、2008年に実態とかけ離れた高額の企業買収による失敗として処理し、損失を粉飾していたことを認めた。

刑事裁判では前社長の菊川剛に懲役3年執行猶予5年の判決などが下り、民事裁判ではオリンパスと株主が旧経営陣に対し訴訟を起こし、旧経営陣16人に対して590憶円を支払う判決が言い渡されている。
また粉飾決算の額が大きく悪質であったため、オリンパスは上場廃止が妥当だと考えられていた。
しかしオリンパスは巨大企業であるため、上場廃止による社会的影響を考慮し上場廃止は免れたと言われている。

9月|大王製紙事件発覚


大王製紙事件とは、大王製紙創業者会長の井川意高が不正に会社の金を使用した横領事件である。

井川意高は大王製紙2代目井川高雄の長男として誕生し、2007年、42歳で大王製紙の6代目社長に就任、2011年に会長に就任いていた。
しかし井川意高は2010年4月から2011年9月にかけ、106憶円もの金銭を会社から不正に引き出した上カジノの賭け金に流用し、50億円が未返済となっていた。

事件は2011年9月に発覚し、井川は会長職を辞任した。
大王製紙は創業者一族を経営の主要ポストから外し、井川を刑事告発した。
東京地検特捜部は井川を逮捕し、裁判で懲役4年の刑が確定、2016年に仮釈放されている。

10月11日|大津市中2いじめ自殺事件が発生


大津中2いじめ自殺事件とは、大津市の中学2年生の男子生徒を男子生徒5人がいじめ、自殺した事件である。
学校のいじめ隠蔽体質と加害者少年らとその親らの対応に、社会から大きなバッシングが起きた。

加害者らと被害者は共に仲が良かったが、やがて加害者少年らは被害者少年に対し蜂の死骸を食べさせようとするなどのいじめを繰り返し、2011年10月8日には被害者宅を訪れ貴金属や財布を盗むなどした。
その3日後に被害者は自宅であるマンションから飛び降り自殺した。

クラスの担任は被害者から相談や暴力の報告を受けていたが、適切な対応をとらず、事件後より休職し復帰後も遺族に謝罪は行わなかった。
また校長もいじめを適切に対応しなかったとして、減給処分になった。

警察も遺族からの被害届を「被害者が死亡している」との理由により受理しなかったが、バッシングを受けると態度を変え受理した。
その後滋賀県警は加害者2名を書類送検し、1名を児童相談所に送致した。

民事訴訟で被害者遺族は同級生3人と保護者・大津市を相手に損害賠償を請求したが、加害者側の保護者は学校の校門で「自殺は被害者宅の家庭環境が悪いため」という内容のビラ配りを行った。
大津市と遺族は見舞金2800万円と和解金1300万円を支払うことで和解した。
大阪高裁の2審では、元同級生2人に対し400万円を支払うよう命じられている。

11月8日|出資者から資金を集め、牧場を経営していた安愚楽牧場が破産


安愚楽牧場とは、出資者から集めた資金で繁殖母牛を購入し産まれた子牛を売却、売却益を出資者へ分配する畜産会社だったが、自転車操業となり破産した。

安愚楽牧場は全国38か所で直営牧場を運営していたが、被害者数7万3356人総額4207憶円という大規模な被害を出した。
小牛の売却益を出資者へ利益配分するという触れ込みであったが、実際には出資金をそのまま配当金へ流しており、典型的な自転車操業状態となっていた。

経営者は特定商品預託法違反で起訴され、懲役2年10カ月の有罪判決などが言い渡されている。

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